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野村監督、楽天退任後の「180度変化」挨拶返しの“間”が延びた!【短期集中連載Vol.8】
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.02.08 11:00 最終更新日:2021.02.08 11:00
2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。1周忌にあたり、15年間近くマネージャーを務めた小島一貴さんが、短期集中連載で「ノムさん」の知られざるエピソードを明かす。今回は、第8回だ。
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監督が楽天の監督だったころ、私の会社でマネジメントを担当しはじめていたとはいえ、監督との接点はあまり多くなかった。シーズン中は球団の専属マネジャーがいて、私の出番はほとんどなく、シーズンオフに数回、出演のお仕事のお供をするくらいだった。
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そのため、私は日本でプレーする外国人選手や日本人選手を数名、代理人またはマネジャーとして担当していて、むしろそちらがメインの仕事といえた。
とはいえ、監督に顔はしっかりと覚えられていて、球場などでお会いすれば、必ずご挨拶をしなければならない立場である。難しかったのは、別の選手の用事で楽天の試合に行ったときだ。
試合前の練習では、監督は必ずベンチに座り、記者陣を相手に話をしている。そこにわざわざ入り込んで挨拶しなければならない。タイミングが悪ければ、記者の方の質問を遮ってしまう。
最悪なのは、監督のお話を遮ってしまうことだ。別の選手との用件があり、その選手も時間は限られているので、「監督へのご挨拶は早々に済ませてしまいたい」というのが本音だった。
監督に挨拶などせず、用件だけに集中すればいいのではと思われるかもしれないが、そうはいかない。監督は練習中、記者陣に話をしているようで、グラウンド内をくまなく観察している。
監督の教え子にあたる選手に確認したが、「絶対に見られているから、必ず挨拶に行くべき」とのこと。私が監督に挨拶せず、相手ベンチ前などで担当の選手と話をしていれば、必ず監督の目に入る。「あいつは球場に来ていたけど、俺への挨拶はなかった」と思われるから、というのだ。
そのように思われてしまえば、オフの仕事にも支障が出ることは間違いない。そんなわけで、10~20人はいようかという記者たちが「この人、誰?」という視線をいっせいに向けるなか、監督に挨拶するのである。
球場でユニフォームを着ている監督は、けっして愛想はよくない。「監督、こんにちは」と大きな声で挨拶しても、「おぅ」と短いひと言が返ってくればいいほうだ。私の顔を一瞥して小さく頷くだけ、ということも少なくなかった。
監督ご自身がよく語っておられたのだが、話し方とか態度だとか、どうしても現役時代の監督の影響を受けるのだという。監督の場合は、南海時代の鶴岡一人監督だ。
現役時代、球場の通路で鶴岡監督にばったり出くわして、「おはようございます!」と挨拶をしても、「おぅ」と言われればよいほうで、たいていは無視されたそうだ。こうした話を聞いてからは、監督の無愛想な挨拶も、普通のことなのだと思えるようになった。
ただ、監督のこのような態度は、鶴岡監督の影響だけが理由ではなかったように思う。監督は常々、「チームの監督は組織のトップであり、軽い存在ではダメだ」とおっしゃっていた。
試合前の練習は、まさに監督が管理・支配する領域である。大勢の記者たちに囲まれ、自チームのスタッフや選手も見ているなかで、無名のプライベートマネジャーが挨拶をしに来て、ニコニコするわけにもいかないだろう。監督としての威厳を意識しての立居振る舞いだったのだと思う。
監督が楽天の監督を退任し、私がマネジャーとして年中同行するようになると、監督の第一声は「おぅ」から「おーぅ」に変わった。文字にすれば大差ないが、雰囲気は180度違う。
監督が取材を受けるとき、私は取材場所となる都内のホテルに先乗りし、相手方と簡単な打合せをしてから、車寄せで監督の到着をお待ちする。監督が到着すると、ポーターさんが監督の車のドアを開けるタイミングで、「監督、おはようございます! よろしくお願いします!」と挨拶する。そこで監督が「おーぅ」と応じるのである。
そして監督はたいてい、こう続けた。「なんや、今日はアンタのとこか」。前日も前々日も私が同行していても、いつも同じ、気さくなセリフだった。