スポーツ
武藤敬司、もうすぐ還暦でも現役続行「レジェンドに比べればまだまだひよっこ」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.03.13 11:00 最終更新日:2021.03.13 11:00
2021年2月12日、日本武道館は沸きに沸いた。還暦も近い武藤敬司がプロレスリング・ノアのGHCヘビー級王座に挑戦、チャンピオンの潮崎豪を降し、見事勝利を収めたのだ。王座史上最高齢。
そして15日、武藤は盟友の故・三沢光晴が設立したノアへの正式入団を発表。そんな目まぐるしいスケジュールを縫い、武藤は自宅近くの旭寿司に現われた。
【関連記事:武藤敬司「昨日の自分に勝つ」と決めて練習するも、最近は年で…】
決戦を制したことに祝福を述べると、武藤はうなずき、すかさず「酒、もらってもいいの?」と目配せする。まずは生ビールで祝杯だ。
取材直前までの2時間、近所のジムでみっちり汗をかいた。武藤は喉を鳴らしてビールをあおる。
「大きな試合が近づくと、いくらか追い込むこともあるけど、練習時間もメニューもあまり変わらない。
急に張り切ったところで、大差ないから。筋肉って年を取らないというけど、徐々に衰えは感じるよ」
つまみに出された刺身の盛り合わせには好物のカワハギも入っていた。武藤は無骨な指で器用に箸を動かし、半透明の身をつまんでは、口に放り込む。
酒もいつしか白ワインに替わっていた。糖質が多いため、ビールや日本酒は今は控えめにしている。
「この店もね、夜来るときは寿司も〆に何貫かつまむ程度なのよ。夜はもう何年も前から炭水化物を抜いてる。これ以上太ると、膝にくるしな……」
レスラーはマットで受け身を取るためにも、ある程度脂肪を蓄える必要がある。
ベストの体重を維持するには、長年の経験が物を言う。武藤は「ベンチプレスの重りがコンディションを表わす」と語る。
「やはり年々、ウエイトを挙げられなくなってる。心肺のトレーニングをしても、息が上がりがち。でも、『昨日の武藤に負けないように』と毎日自分に言い聞かせてるよ」
武藤は過去に「プロレスはゴールのないマラソン」との名言を吐いた。終わりのない道を今なお歩み続けている。
アラ還となり、体は以前のようには動かずとも、プロレスに注ぐ情熱は変わらない。
■元横綱・曙を呼び、レスラーに育てた
1984年、武藤は21歳で新日本プロレスに入門。同期にはのちに自身とともに「闘魂三銃士」を名乗る蝶野正洋に橋本真也、また船木誠勝がいた。
すぐに頭角を現わした武藤は同年リングデビューを飾り、翌年には海外に遠征。「グレート・ムタ」という別名でも活躍し、毒霧を吐く悪役パフォーマンスで人気を博す。
全米各地でベルトを獲得し、日本よりもアメリカで先にスターの地位を確立した。
「WWEのザ・ロックっているだろ、いまやハリウッドスターのドウェイン・ジョンソンな。あれの親父、ロッキー・ジョンソンともプエルトリコで戦った。
ロックも子供のころに俺の試合を観たって。ヤツが主演の『ヘラクレス』(2014年公開)って映画のプレミア試写会にゲストで呼ばれたら、そう話してたよ」
ザ・ロックの必殺技“ピープルズ・エルボー”も、武藤の得意技“フラッシングエルボー”のパクリだとか。それほど世界を股にかけて戦い、国内外の後進に影響を与えてきたのだ。
今世紀に入ると、新日から全日本プロレスに電撃移籍。このたびのノア入団でも、「骨の髄までしゃぶっていただきたい」という、かつて残した名言を口にした。
全日では社長にも就任し、持ち前のプロデュースセンスを発揮。複数の団体の試合に参戦し、交流を促してきた。
また、大相撲の元横綱の曙を呼び寄せ、プロレスラーとして育て上げた。しかし、ストイックなまでにプロレスに入れ揚げながら、「おおいに豪遊もした」と当時を振り返る。
「今の若手レスラーはみんな真面目だけど、俺らは毎日のように試合をしては、食っちゃ飲んで遊んで不摂生の限りを尽くし、私生活はホントふざけてた。長州力さんもオリンピックにまで出た人だけど、じつに出鱈目だからさ(笑)」
その長州力は2019年に67歳で、天龍源一郎も2015年に65歳で引退した。だが、藤波辰爾は67歳で、グレート小鹿に至っては78歳で、今なお現役続行中。ジャイアント馬場も61歳の死の直前までやめなかった。
彼らに比べれば、「まだまだひよっこ」だと武藤は笑う。
「最近、古巣の新日本では50歳を過ぎたら引退させられる流れがあるじゃん。中西(学)とか(獣神サンダー・)ライガーとか。ライガーなんてまだ動けるし、惜しいと思う。
今のプロレスは合理化が進んだぶん、そう怪我もしないんじゃないかな。だから、長く続けられるスポーツだと思うよ」
■無観客試合なら鼻くそほじったって…
武藤自身はずっと膝に爆弾を抱えていた。トップロープからバック転して相手を仕留める代わりに、膝を強かに打つ、必殺技のムーンサルトプレスが仇になった。
24歳で右の半月板除去の手術を受けたのを皮切りに、両脚とも変形性膝関節症になるほど悪化。そこで2018年、思い切って人工関節置換術を受けた。
「今は痛みからも解放された。親からもらった本来の体じゃないんで、どっかぎこちない面もあるけど、関節症になってからの10年は暗黒時代だった。
試合の前は30〜40分かけ、ガチガチにテーピングするしかない。それも間際にやんないとダメ。血が止まっちゃう」
いまやトレードマークであるド派手なタイツも、テーピングを隠すために穿き始めた。武藤には逆境を楽しむ余裕がつねにある。
2020年4月には、約7年率いてきた自身の団体、WRESTLE-1を解散。後楽園ホールでの4月1日の無観客試合が最終興行となった。
ノア入団の理由も、2020年3月末から無観客で試合をおこない、業界で最初に外部配信を仕掛けた同団体の積極性に未来を感じたからだ。
「無観客なんて俺のキャリア初でさ、カメラ越しにお客がいるったって、画面に映りさえしなきゃ、鼻くそほじったってバレねぇな(笑)。これからはプロレスも、カメラが重要な競技になるのかな」
とつぶやくなり、「それも可能性のうちだろうが、諸手を挙げて賛成はできねぇな」と武藤は頭を振った。
「東京ドームなんかで、観客4万〜5万人の視線が一身に注がれるのも俺は経験してる。それはもうエクスタシー。前回の武道館でも入場制限はかけていたけど、ストンピング(足踏み)したり、ファンが工夫してくれて、熱はすごく伝わってきた」
観客とレスラーはともに同じ会場で戦っている、と言いたいのだ。
先日の試合でも、リングに上がった武藤は開口一番、「ちょっと老いぼれているけど、俺だって夢を見たっていいだろ」と観客に呼びかけた。そして、夢は現実になった。
むとうけいじ
1962年12月23日生まれ 山梨県出身 身長188cm、体重110kg 1984年4月、新日本プロレスに入門。蝶野正洋、故・橋本真也と“闘魂三銃士”と称され、トップレスラーへ。2002年2月に全日本プロレスへと電撃移籍し、代表取締役社長に就任。同年、プロレス大賞MVPに輝く。2013年に新団体「WRESTLE-1」を旗揚げ。2021年2月にプロレスリング・ノアに入団。獲得したタイトルは、三冠ヘビー級王座、IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座、世界タッグ王座など
【旭寿司】
・住所/神奈川県横浜市青葉区市ケ尾町1721 志村ビル1F(東急田園都市線「市が尾駅」より徒歩10分)
・営業時間/11:45〜14:00、17:30〜22:30
・休み/木曜日
※緊急事態宣言下のため要確認
写真・野澤亘伸
文・鈴木隆祐
(週刊FLASH 2021年3月16日号)