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樋口久子インタビュー!日本人初の世界ゴルフ殿堂入りに「涙が出るくらい嬉しかった」/5月1日の話

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.05.01 06:00 最終更新日:2021.05.01 06:00

樋口久子インタビュー!日本人初の世界ゴルフ殿堂入りに「涙が出るくらい嬉しかった」/5月1日の話

 

 2003年5月1日、プロゴルファー樋口久子氏が、日本人初となる『世界ゴルフ殿堂』に選出された。 

 

 近年、多くの日本人選手が海外ツアーに参戦し、活躍している。そのなかでも樋口氏は、1977年の全米女子プロゴルフ選手権で日本人として初めて優勝を果たすなど、女子プロゴルフ界におけるパイオニア的存在である。

 

 

 現在、日本女子プロゴルフ協会で顧問を務める樋口氏が、本誌のインタビューに応じてくれた。

 

「(2003年の)5月1日はプライベートでゴルフをしていました。そこに連絡が入ってきたんです」と当時を振り返る樋口氏。

 

「涙が出るくらい嬉しかったです。これからもゴルフに携わる以上、もっと努力して、ゴルフ界を盛り上げていかなきゃいけない、発展させていかなきゃいけない、という気持ちになりましたね。

 

 アメリカのツアーに参加していたころから、『世界ゴルフ殿堂』という存在は知っていました。しかし、まさか自分がそこに入れるとは思っていませんでした」(同)

 

『世界ゴルフ殿堂』は複数の部門から構成されている。そのなかで樋口氏は「生涯業績部門」からの選出となった。選手としての実績もさることながら、ゴルフの発展に貢献してきた人物が選出されるこの部門。受賞の背景には、樋口氏による大胆なゴルフ界の改革があった。

 

「1997年、日本女子プロゴルフ協会の会長になりました。その際に、協会内部の規定を改革したんです。それまで、協会が実施するプロテストに合格しないと、アマチュア選手は日本の女子ツアーに出られなかったんです。

 

 しかし私は、アマチュアでも実力がある選手はどんどん出た方がいいと考えておりました。この時代は女子ツアーが低迷しており、活性化する必要があったのです。

 

 これを『QT制度』というのですが、プロテストに合格していないアマチュア選手や、海外ツアーに参加している外国人選手も、国内女子ツアーへの出場資格を獲得できるようにしたのです」(同)

 

 その結果、多くの若手選手がツアー大会で活躍し、国内のゴルフ人気は高まりをみせることに。

 

 封鎖的だったゴルフの世界に風穴を開けた樋口氏は、現役時代の海外への挑戦についても語ってくれた。

 

「私は1970年からアメリカのツアーに行きました。それは日本で試合が少ない時代だったからです。当時はまだゴルフに関する情報が少ない時代でした。国内のゴルフ雑誌だって2〜3冊しかないですし、ましてや海外の情報なんて何も入ってこない。

 

 なので、アメリカでプレーをしはじめた当初は『アメリカのツアーってどんなところだろう?』『海外の選手ってどんな格好をしているのかしら?』というところから入っていくんです。でも、アメリカでプレーを続けるうちに『上位に入りたい』『もっと賞金を稼ぎたい』『優勝したい』と自然と目標が高くなっていきました」

 

 その後、1974年にオーストラリアン女子オープンで優勝を果たすと、1976年にはヨーロピアン女子オープンで優勝。そして1977年におこなわれた全米女子プロゴルフ選手権で日本人初のメジャー優勝を果たし、女子プロゴルフの歴史をつくった。

 

 取材の最後、樋口氏は「それぞれが持つ目標には個人の差があると思います。日本で頑張るんだったら日本の賞金女王になるように頑張ってほしいし、海外に挑戦するのだったら、海外で活躍してほしい」と若手選手たちにメッセージを送ってくれた。

 

 日本の女子プロゴルフのパイオニアは、これからも女子プロゴルフ界を牽引していくことだろう。

 

写真・オフィス・チャコ提供

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