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張本勲が3000本安打を達成!中畑清が語る「パンツ一丁での素振り」とその「生き様」/5月28日の話

スポーツ 投稿日:2021.05.28 06:00FLASH編集部

張本勲が3000本安打を達成!中畑清が語る「パンツ一丁での素振り」とその「生き様」/5月28日の話

写真・時事通信

 

 1980年5月28日、ロッテ・オリオンズ(当時)の張本勲が、対阪急ブレーズブス(現・オリックス)戦で、日本プロ野球史上初となる通算3000本安打を達成した。

 

 日本プロ野球史を振り返れば、数多くの強打者たちがその名を歴史に刻んでいる。だが、「3000本安打」を達成した選手は、張本ただひとりである。

 

 

 現役時代に張本とともに巨人でプレーし、現在は野球解説者として活躍する中畑清氏に話を聞いた。

 

 中畑氏は「3000本安打」という数字の難しさについて、次のように語る。

 

「3000本っていうのはね、野球人でさえも気が遠くなるような数字だよな。この世界は、2000本を打ってやっと『名球会』に入れる。それが3000本となると、とてつもなく遠い世界に感じるよ。

 

 その条件として何が必要かと聞かれたら、第一に『ケガをせず、試合に出続ける』ということ。つまり『無事是名馬』ってことだよな。張本さんはとにかくケガに強かったんだ。

 

 そして次に『足が速い』ということ。内野安打になりそうな当たりでも、足が遅いとアウトになってしまう。その点でいうと、張本さんは、長距離砲としてだけでなく、足も速かった。セーフティバントを仕掛けたら、だいたいセーフになってたよね」

 
 1976年、張本はトレード移籍(日ハム→巨人)、中畑氏はドラフト指名(駒澤大学→巨人)というかたちで同時に巨人に入団した。チームメイトとして張本の姿を間近で見てきた中畑氏は、こんなエピソードを教えてくれた。

 

「1年目のオープン戦で遠征に行ったとき、張本さんとおれは同じ部屋だったの。張本さんは、オープン戦で打てなかったり、結果が出なかったときとか、部屋に帰ってくると、パンツ一丁で素振りをするんだ。納得するまで、一振り一振り『ブンッ! ブンッ!』という音をさせて、砂を入れた一升瓶を振り続けていたよ。それを見ているだけでも勉強になったよな」

 

 張本は幼い頃の事故により、右手の薬指と小指に後遺症がある。そのため、力強くグリップを握るため、右打ちから左打ちに、またボールを正確に投げるため、右投げから左投げへプレースタイルを工夫してきた。

 

「右打者にとって、薬指と小指は、グリップを握るときにいちばん力が入るところ。張本さんは、右打ちでは力が伝わらないから、左打ちになったんだ。バットを持つとき、グリップの握りを工夫して、右手は3本の指を引っかけながら握っていたよね。だから、右手中指の根元には、すごいタコがあった。

 

 張本さんは天才バッターと言われるけど、やっぱり “努力なくして勝利なし” だね。そのうえ、「絶対負けるか」という根性があった。だから、ハンディキャップがあっても、張本さんは言い訳もしなかった。その『生き様』を結果で示したんだ。やっぱりレジェンドだよね」

 

 取材の最後に中畑氏は、張本に次ぐ3000本安打の候補者として、2020年、史上2番目の若さ(右打者としては史上最年少)で通算2000本安打を達成した坂本勇人(巨人)の名前をあげた。

 

「3000本安打の可能性としては、広角に打ち分けて、さらに足もある坂本が近いね。坂本はどっちかっていうとケガも少なくて、スランプも短い。シーズン100本以上のヒットを打てる選手だよな。いま坂本は32歳だから、40歳くらいには3000本をクリアできると思うんだ」

 

 張本は、3000本安打を達成した翌年、現役を引退した。通算安打は「3085」をマークし、いまなおNPBにおける歴代最高安打数である。

 

 現在は「ご意見番」としてテレビ番組で活躍する張本は、現役時代、誰よりも自分自身に「喝」を入れ続けた、史上最高のバッターだったのだ。

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