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広島カープを支え続けた衣笠祥雄…記念碑にはいまもファンが集う/6月13日の話
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.06.13 09:00 最終更新日:2021.06.13 09:00
1987年6月13日、広島東洋カープ(当時)の衣笠祥雄が、連続試合出場数を「2131」とし、ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリックがもっていた「連続試合出場世界記録」を更新した。
強打者として甲子園で活躍した衣笠は、1965年のドラフト会議を経てカープに入団。4年目に才能を開花させると、1970年10月19日の対巨人戦への出場から17年間、試合に出場し続けた。
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その後、中心選手としてチームを5度のリーグ優勝に導き、1987年にはプロ野球選手として王貞治(元・巨人)に次いで2人目となる国民栄誉賞を受賞するなど、名実ともに「広島の英雄」となった衣笠。
かつてカープの本拠地だった広島市民球場の跡地にある「勝鯉(しょうり)の森」には、いまも衣笠の世界記録更新を祝したモニュメント「衣笠祥雄世界新記録記念碑」が設置されており、その栄光が称えられている。
「1987年6月13日、衣笠さんが世界記録を更新されたその日に除幕され、お披露目となりました。
衣笠さんの功績を讃え、語り継ぐために、広島市が中心となって設置に取り組みました」
こう語るのは、広島市役所の担当者だ。
1975年のリーグ初優勝を記念して作られた「勝鯉の森」には、衣笠の記念碑のほかにも、カープの優勝記録が刻まれた「セントラルリーグ優勝記念碑」や「日本シリーズ優勝記念碑」が並ぶ。
「広島市民球場の跡地ですからね。カープファンのみなさんだけでなく、多くの市民の方々も訪れます。
2018年にカープが優勝した際は、ひとつだけだった記念碑に優勝記録を書き込むスペースがなくなってしまい、ふたつめとなる新しい記念碑が設立されました。
除幕式には、緒方孝市監督や球団関係者の方も訪れ、盛り上がりましたね」(前出・担当者)
世界記録を更新したこの年を最後に球界を引退した衣笠。自身の引退試合まで試合に出場し続け、最終的には「2215」まで記録を伸ばした。
1996年、オリオールズ(当時)のカル・リプケンが衣笠の世界記録を更新する形となったが、いまも日本プロ野球では最高記録である。
衣笠がこの世を去った2018年には、訃報を受けた多くのカープファンが記念碑を訪れた。
「衣笠さんがお亡くなりになられた際は、老若男女問わず、ファンのみなさんが記念碑を訪れていらっしゃいました。
ニュースでも、当時の記念碑の様子が報道されたと聞いています。花束が記念碑のもとに手向けられ、衣笠さんの影響力の高さが伺えました」(同)
連続試合出場のほかにも、2543安打(歴代5位)、504本塁打(歴代5位)1448打点(歴代11位)と輝かしい通算成績を誇る衣笠。永久欠番となっている衣笠の背番号「3」は、カープを見守り続ける。
写真提供・広島フィルム・コミッション(JFC)