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元稀勢の里の荒磯親方、“国技館から1時間半” の茨城県に部屋設立のワケ
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.06.17 06:00 最終更新日:2021.06.17 13:43
「すでに1700坪の土地を確保しています。雑木林を伐採し、今は更地状態ですが7月下旬を目途に工事を始めて、来年8月には土俵開きができるようにしたいですね」
こう語るのは、荒磯親方(元稀勢の里・34)の父・萩原貞彦さん(以下、「」内は同)。
5月27日に開かれた日本相撲協会理事会において、「荒磯部屋」の設立が正式に承認された。これを受けて荒磯親方は、8月1日付で田子ノ浦部屋付き親方から独立し、43番めの相撲部屋となる「荒磯部屋」創設に動き出した。
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貞彦さんは部屋創設に際して、 “荒磯顧問” という肩書で、息子にさまざまな助言を送っている。部屋は荒磯親方の故郷である、茨城県阿見町荒川本郷に建設される。
「すでに建物の青写真は出来上がってます。正面の門を入ると、両脇にのぼり旗を立てて、正面奥に中二階建ての土俵があるメインの稽古部屋を建てます。
左右両側に親方やスタッフの住居、トレーニングルーム、相撲関連グッズの販売店などの付属施設を建て、見学者にはこれらを見て楽しんでもらえるよう回廊式にする予定です。建物の裏側には、大型バスも停められる駐車場を造ります」
じつは当初、荒磯親方は国技館に近い秋葉原周辺の土地を探していたが、都内の広大な土地の入手は金銭的にも困難となり、現在の場所に落ち着いたという。問題は交通アクセス。国技館まで電車で片道約1時間30分という距離に、疑問の声が上がっている。
荒磯親方は昨年春から今年3月に卒業するまでの1年間、早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科で、相撲部屋の経営に関するビジネス理論を学んだ。今回、都心から離れた広大な敷地を確保したのは、この理論を実際の部屋運営で実証するためだという。
「従来の既成概念にとらわれない、斬新な構想を描いています。
具体的には、弟子たちの個性やプライバシー尊重の観点から、力士たちが大部屋で生活する形式を改める。開放的な景観と環境の中で力士を養成し、力士との意思疎通を図るため、ミーティングルームを設置する。
将来、入門希望者が増え、稽古量が増加することも見越して、土俵を2面設置する。力士のメンタル、健康管理、食事などに専門スタッフを雇用する。子供相撲を奨励して、アマチュア相撲とも交流する。物品販売などによる部屋の財政安定を目指す。見学者を誘致して地域を活性化し、地元に貢献する。
これらの構想を実現するためには、この場所が最適だったということです」
部屋を安定的に運営し、力士を獲得するために、これからは企業的な経営理念やビジネス感覚も要求される。荒磯親方の部屋設立構想は、それらを先取りするものだ。
現在、田子ノ浦部屋から荒磯部屋に転属が見込まれている力士は序二段の足立、序ノ口の谷口、加藤、西原の4名。このほか幕下格の行司が1名。部屋が完成するまでは、筑波大学の武道館にある土俵を借用することになった。
「じつは、筑波大学の土俵を使って稽古するのも、彼なりの計算があるんです。現在、筑波大学の相撲部は部員がいなくて休眠状態なんです。そこで、プロの力士が稽古に使うことをきっかけに相撲部を復活させ、プロとアマチュアの交流を図り、将来は筑波大学出身の力士を角界に送り出したいということなんです」
8月の荒磯部屋発足を前に、地元も沸いている。牛久市在住のファンは、期待をこめてこう言う。
「一日も早い関取誕生を心待ちにしています。荒磯親方ならやってくれるでしょう。現役時代の取り口のように、弟子の指導も真っ向勝負。手抜きをせずに鍛えてくれると思います」
荒磯親方の地元・牛久市では、後援会の発足に加えて、「稀勢の里記念館」設立計画など、さまざまな動きがあり、「相撲の街・牛久」と称されるのも夢ではないと、活気づいている。
取材&文・岡村 青
(週刊FLASH 6月29日・7月6日合併号)