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“引退”表明の松坂大輔 ポツリと漏らした「壮絶リハビリ」と「二刀流挑戦」

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.07.08 19:50 最終更新日:2021.07.08 20:02

“引退”表明の松坂大輔 ポツリと漏らした「壮絶リハビリ」と「二刀流挑戦」

時折り笑顔を見せて質問に答えていたソフトバンク時代の松坂

 

 日米通算170勝。ついに、松坂大輔引退を表明した。数々の記録を打ち立て、まさに日本球界を代表する右腕だったが、晩年は少し寂しいものだったと言わざるを得ない。

 

 2020年に14年ぶりに古巣である西武に復帰し、オープン戦で2試合6イニングを投げて、防御率3.00と復活の兆しが見えていたのだが、コロナ禍の影響で開幕が3カ月間延期。その間に右肘にしびれが生じて、7月に脊椎内視鏡頸椎手術をおこなった。結局、そのまま今季まで登板はかなわず、マウンドを去ることとなった。

 

 

 そんな松坂がメジャーからソフトバンクへ、日本球界復帰を決断したのは2014年12月だった。3年12億円の大型契約の2年間で、一軍登板はわずか1試合だった松坂は、心ないファンから “給料泥棒” と非難されることもあった。最終契約年となる2017年のキャンプで、松坂は懇意のカメラマンに複雑な心情を吐露していた。

 

「ご心配かけてます(苦笑)。投げられない原因はわかっているけど、対処法が見つからないんです」

 

 日本復帰から2年、不本意なシーズンを過ごし、投球フォームも酷評されるなど、松坂は試行錯誤を繰り返していた。

 

「2011年6月に右肘、2015年8月に右肩と2度手術して、その痛みが2016年まで続き、騙し騙し投げていました。フォームを酷評されている? 痛みが最小限ですむ投げ方を追求したら、このフォームになってしまったんです。だから、好きでやっている投げ方ではないんですよ。投球の良し悪しの幅も大きくなってしまって大崩れすると、戻すのにも時間がかかる。自分では対応のしようがないんです。もどかしいですよ」

 

 そんな松坂に明るい兆しが見え始めたのは2017年の夏。「藁にもすがる思いで」訪れた千葉県船橋市にある病院で、痛みの原因が判明する。それまでに訪れた病院は、優に40カ所を超えていた。2018年、中日にテスト入団した松坂は、春季キャンプで壮絶なリハビリの日々をカメラマンに明かしていた。

 

「やっと、やっとという感じでしたね。肩を痛めてから『肩の治療の権威』との噂を聞けば、それこそ全国の病院を訪れたんですが、どの病院に行っても診断の結果は同じ。さすがに心が折れかけて、『やめたら楽になれるかな』と考えたこともありました。それが船橋の病院で、肩の角度をいろいろと変え、何十回もMRIを撮ってくれたんです。それでついに痛みの原因を突き止めたんです。それから治療、リハビリを続けたら痛みがなくなった。10月にはブルペンに入って投球練習をしましたが、翌日にリバウンドがなかった。ようやく、痛みを怖がらずに投げられるようになったんです」

 

 当時、春季キャンプでは軽快そのものの動きを見せ、特にバッティング練習では快打を連発。大谷翔平ばりの二刀流へも色気を見せていた。

 

「西武でもメジャーでも、打席に立つことが少なかったですからね。バッティングはほんと難しいですよ。でも、二刀流をテーマに頑張っていきたいですね(笑)」

 

 その年の松坂は6勝4敗で復活をアピールし、見事カムバック賞も受賞した。しかし2019年は、右肩故障でわずか2試合の登板、自由契約となり古巣・西武へ移籍。その後、2年間は試合で投げることはかなわなかった…。

 

 松坂世代のエースは、日本復帰後も満身創痍の中で常に理想の投球を追い求めていた。「松坂世代とよく言われていますが、僕自身はあまり思うところはないですね」と、本人は意に介してなかったが、 “平成の怪物” はあがいて、あがいて、引退を決断した。ついに、怪物の伝説が幕を閉じた──。

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