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上野由岐子 小学生時代から「全試合登板」!思い起こされる “上野の413球”
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.07.18 06:00 最終更新日:2021.07.18 06:00
開幕を目前に控えたオリンピック。開催を強行しての緊急事態宣言、各地において無観客試合の決定など、問題は山積……でも、どうせ開催されるなら、楽しまなきゃ損!
今回、本誌は東京五輪「注目アスリート」のルーキー時代を総力取材。東京五輪で “金” を狙う選手たちのことをもっと知って、応援しよう。
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7月15日、ソフトボール日本代表が15日、選手村に入村した。会見で “エース” 上野由岐子(38)は、「いよいよ始まるんだなという気持ち」と語った。
ソフトボールは2008年の北京五輪を最後に、五輪種目から除外されていた。しかし、今大会から再び追加種目として認められたのだ。
女子ソフトボールチームを引っ張る存在である上野には、こんな秘話がある――。
1991年夏、福岡市の少年ソフトボールチーム「花畑ブルージェイズ」の秋山新太郎監督は、一人の “少年” に心を奪われた。
「ピンときました。走りっぷり、その足腰の強さに目を見張りました。鍛えればすごい選手になる、と感じたんです」(秋山監督)
秋山監督はすぐさま自宅を探し出し「息子さんをうちのチームに」と直談判した――。
その “少年” いや、少女こそが、上野だった。その後、上野は自分の意思でチーム入りし、秋山監督の厳しい指導を受けた。
「小学6年の福岡市の大会には30チーム近くが参加。1日3試合、2日なら6試合を、ユキちゃんはすべて投げていました」(秋山監督)
北京五輪で2日間3試合すべてを一人で投げた “上野の413球” は、すでに小学生時代に経験済みだったのだ。
(週刊FLASH 2021年7月27日・8月3日合併号)