スポーツ
野村克也のゲン担ぎ「連勝中はパンツを履き替えない」は本当か/8月1日の話
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.08.01 06:00 最終更新日:2021.08.01 14:25
1980年8月1日、西武ライオンズ(当時)の野村克也が、史上初となる通算3000試合出場を達成した。
読売ジャイアンツで活躍していた川上哲治に憧れ、野球にのめり込んだ野村は、1954年、テスト生として南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団。
その後、「強打の捕手」として活躍すると、1965年に、戦後初の三冠王を獲得する。1977年に南海を退団し、ロッテ、西武でプレーした。
多くの試合に出場し、チームを勝利に導いてきた野村は、現役当時から数々の「ゲン担ぎ」を好んでいたという。
【関連記事:亡くなった野村克也さんが、最後まで嫌った「8人の男たち」】
野村の代名詞である背番号「19」も、そのひとつだ。現役時代、占い師から、自身のラッキーナンバーが「10」だと聞いたことから、背番号「19」(「1」と「9」を足して「10」)を気に入り、長年愛用した。
野村のゲン担ぎエピソードは他にもある。野村の下で、長年にわたりヤクルトの1軍ヘッドコーチを務めた丸山完二氏に話を聞いた。
「野村さんはね、試合前に人と会うことを避けていました。これも、野村さんがこだわったジンクスのひとつです。試合前に、マスコミの取材とか、第三者との面会に応じている野村さんを見たことがありません。『試合前に人と会うことは嫌だから、会わないよ』と、よく仰っていましたね。大事な試合の日は、余計そうでしたね」
また、チームの連勝中は、下着を履き替えないことで知られていた。2009年の楽天監督時代、開幕4連勝を果たした際、下着を履き替えていないことを報道陣に明かして話題となったが、それはヤクルト時代から変わらないジンクスだった。
「連勝中は、同じパンツを履き続けていましたよ。これもまた『連勝がずっと続きますように』っていうジンクスですよね。12連勝をしたときがあって(1991年6月)、そのときも、パンツを履き替えていませんでした。
あるとき、誰かが野村さんに『ニオイとかするんじゃないの?』って言っていた記憶があります。もちろん実際に同じパンツかどうか確かめてないけどね(笑)。そういう話は、確かにありました」(前出・丸山氏)
1996年、ヤクルト監督だった野村は、チームが低迷するなか、35個のダイヤが散りばめられたオリジナルブレスレットをオーダーメイドしている。当時の本誌取材に、次のように語っていた。
「コレを巻くと『ツキに恵まれる』って聞いたもんだから。ブレスレットもまたはやりだしたしな。ただそれだけのこと。オレって単純なんだよ」
南海、ヤクルト、阪神、楽天と、4球団の監督を歴任してきた野村は、楽天監督時代の2008年7月15日、監督としても「通算3000試合出場」を達成した。現役と監督の「W3000試合出場」は、現在も日本プロ野球唯一の記録で、メジャーでも例がない。
選手としては試合を支配する捕手に徹し、監督としてはデータを駆使した「ID野球」を展開した野村。スマートな野球人生の裏側で、ちょっとした「神頼み」を楽しんでいたのかもしれない。