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歴代最高の投手・金田正一、長嶋から奪った「4打席連続三振」は父のためだった/9月5日の話

スポーツ 投稿日:2021.09.05 08:00FLASH編集部

歴代最高の投手・金田正一、長嶋から奪った「4打席連続三振」は父のためだった/9月5日の話

長嶋茂雄を打ち取る金田正一(1958年)

 

 1962年9月5日、国鉄(現・東京ヤクルト)の金田正一が、通算3509奪三振を達成した。これにより、ワシントン・セネタース(現・ツインズ)で活躍したウォルター・ジョンソンがもつ記録を塗り替え、通算奪三振の世界最高記録(当時)を更新した。世界の奪三振王が、日本から生まれた瞬間だ。

 

 金田は引退までに、4490もの奪三振をマークした。2位につけている米田哲也(阪急ブレーブスなど)が通算3388奪三振なので、まさに圧倒的である。

 

 

 その偉業のなかでも、特にファンに語り継がれているのが、1958年シーズンの開幕戦で、当時ルーキーだった長嶋茂雄(元・巨人)から奪った「4打席連続三振」だ。

 

 この出来事は、「期待の新人だった長嶋に、金田がプロの意地をみせた」とされている。しかし、実は、試合の翌日に入院予定だった父親に勇姿を見せるためだったことはあまり知られていない。

 

 スポーツライターの小林信也氏が、こう語る。

 

「当初、長嶋さんの4打数4三振について『金田が長嶋をあしらった』と語られていました。しかし、金田さんにも個人的な事情があったのです。当時も知っていた人はいたでしょうけど、それほど表には出ていない話です。このときお父様が病気を患っていたため、なんとか勇姿を見せようと、オフからしっかり準備されていました。これは、引退後に金田さんご自身が何かの取材で仰っていたことです。

 

 あくまでも長嶋さんが主役ということで、金田さんは敵役だった。そういう構図があったため、金田さんの個人的なことには、あまり関心が持たれなかったのかもしれません」

 

 1965年になると、金田は巨人に移籍し、「4打席連続三振」の洗礼を浴びせた長嶋とチームメイトになった。金田が巨人に入団したこの年から、巨人は通称「V9」と呼ばれる黄金時代に突入する。小林氏は、金田が巨人に与えた影響について、次のように語る。

 

「当初、巨人軍の選手のあいだでは『あの金田がなにしに来るんだ』という感じで、すごい拒否反応があったようです。ピッチャーからすればライバルがひとり増えるわけだし、野手にすればなんであんなに威張ってる人間を盛り立てなきゃいけないんだ、と。

 

 その一方、金田さんはとにかくすごく練習したんです。巨人は当時、チーム内の競争が激しかった。どの球団より巨人が練習しているという自負があったようですが、それと比較しても、金田さんはさらに練習していた。とにかくよく走って、あれだけの実績の陰にはこんな猛練習があるんだ、と巨人の選手たちにはすごい衝撃的だったようです。

 

 そういう側面があり、巨人の一員として尊敬され、受け入れられたのだと思います。王さん長嶋さんはチームの中心で、あまり怖い人がいない立場でした。そこに、球界の上下関係で言えば頭のあがらない人がチームに来て、しかも自分たちより必死に練習している。長嶋さんたちにとって刺激になったし、励みにもなったんじゃないですかね。

 

 結果的に、金田さんが巨人に移籍してからV9が始まりました。金田さんの登場が、巨人の緊迫感やチーム力を高めるきっかけになったんだと思いますね」

 

 小林氏は、金田正一という選手を「大胆細心」という言葉で表現する。

 

「一見すると太々しくて豪快ですが、準備には怠りがない。そして、どれだけ走り込んでも壊れないような、頑丈な体もありました。走り込みしたぶん、体の手当もしっかりしていました。(体のケアのため)自分でサウナを作ったくらいですから。

 

 やっぱり、やるべきことはやっていたと言いますか、そういう意志の強さはすごいです。普通『こうゆうことをやろう』となっても、やりきれなかったりするでしょうけど、金田さんは、やると決めたらやるっていうところが、他人にはないすごさだったと言えると思います」

 

 脅威の奪三振数もさることながら、NPB史上唯一の400勝投手でもある金田。金字塔の裏には、誰にも負けない努力があった。

 

写真・朝日新聞

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