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大谷翔平 MVPフィーバーに水を差す“箝口令”も…地元・奥州市が“エンゼルスの大谷”で盛り上がれない苦しい事情
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.10.23 12:45 最終更新日:2021.10.23 19:25
「シーズンが終わって、大谷ロスになっちゃって…。シーズン中は毎日、近所のおじさんらと『今日も打ったね』なんて話をしていましたから。地元の岩手日報には、エンゼルスが勝とうが負けようが、大谷選手のカラー写真が載るんです。そのシーズンが終わっちゃって、なんとも寂しいです」
そう話すのは、大谷翔平(28)の故郷、岩手県奥州市の住民だ。
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奥州市では、大谷の背番号と同じ毎月17日を「大谷デー」と称し、地元の市役所職員や信用金庫の職員が、エンゼルスの赤いユニホームを着て仕事をするなど、市を挙げて応援していた。
海を越えた地元スターの活躍をどう感じているのか、高校時代に大谷とともに野球部で活躍した同級生たちに話を聞こうとすると、返ってきたのは思わぬ返答だった。
「花巻東高校からは、新聞社以外の取材を受けないように言われています。すでに卒業しているとはいえ、母校からそういわれると従わざるを得ません」
地元で働く大谷の同級生には、箝口令が出ていたのだ。しかし、大谷フィーバーへの陰りは、何もこれだけではない。
東北新幹線の水沢江刺駅では、10月18日から大谷翔平の常設展が始まった。だが、ガラスケースに並べられたユニホームやサインボール、野球帽はなぜか、日本ハムファイターズ時代のものばかり。奥州市役所に展示されている、大谷翔平と“握手”できるよう右手をかたどった黄金の握手像も同様で、その周囲は日ハム時代のグッズで囲まれたままだ。市の関係者は内情をこう明かす。
「本当は今のエンゼルスのユニホームや写真などを展示したいのですが、エンゼルスに許可をもらおうとすると莫大なお金がかかるんです。だから日ハム時代のものしか展示できないんです……」
苦しい声は、奥州市長を会長とする大谷翔平の「ふるさと応援団」からも聞こえてきた。
「本当は『応援団』ではなく、『後援会』と名乗りたかったのですが、どうしてもできませんでした。理由は大谷選手自身や、ご両親が会に参加していないからです。『後援会』と名乗ってしまうと、大谷選手が地元に帰って来たとき、行事などに参加しないといけない。それが本人たちは嫌だったのでしょうね。だから名称は『応援団』とせざるを得ませんでした」
大谷フィーバーに乗りたかった地元、奥州市だが、シーズンの終わりとともに、その波も静まっていくようだ――。
写真:共同通信