■カメラを向けた途端、持っていた傘で威嚇
新宿の路上でアントニオ猪木を急襲し、新日本プロレス史上最も凶暴な外国人レスラーとしてその名を轟かせたのはタイガー・ジェット・シン。
対戦相手はもちろんのこと、時には報道陣相手にサーベルを振り回して暴れていた。しかしその一方で、地元のカナダでは実業家としても名を馳せ、慈善事業にも積極的に取り組む紳士でもあった。
「子供のころ、一度カメラを向けたときに持っていた傘で威嚇されてとても怖かった経験があります。しかし今思えば、それが悪役レスラーとしてのファンサービスだったのでしょう。
プロのカメラマンになってから、一度だけ酒席をともにする貴重な機会に恵まれましたが、テキーラをしこたま飲まされてさんざんな目に遭いました(苦笑)。
だけどそれで彼に認められて、私にだけシャッターチャンスをくれるようになったりと、よくしてもらいましたね」
ちなみに、ひと昔前のプロレスラーは国内外問わず酒豪というイメージが強いが、「最近は常にボディシェイプに気を遣っているからか、酒を飲まない選手のほうが多い」とのこと。
現在、アメリカのプロレスの象徴であるハルク・ホーガンは、日本を経てスーパースターの階段を駆け上がっていったレスラーだ。トレードマークであった「一番」のロゴがデザインされたTシャツは、多くのファンが着ていた。
本国では数多くの作品に出演する俳優としても活躍。そのため、1990年代以降はレスラーとしてではなく、タレントとして作品PRのために来日することが多くなった。
「本国でのスターっぷりは、日本では想像できないと思います。登場するだけで地鳴りのような歓声が上がるほどです。私自身、何度か撮影をしていますが、大スターになってもけっして偉ぶることはありませんでした。 “これぞスター” というオーラはハンパなかったですね」
■息子の売り込みに必死だったパパレスラー
最後に紹介するのは、1987年12月にビートたけしが結成したTPG(たけしプロレス軍団)からの刺客として登場したビッグバン・ベイダーだ。巨体から繰り出すパワフルな攻撃から粗暴なイメージがあるが、じつは穏やかで優しい性格であったという。
「日本で試合をした外国人レスラーの映像を取り寄せて研究したりと、向上心の塊でもありました。また、晩年は同じくレスラーの息子さんと一緒に来日することも多く、その売り込みに一生懸命でしたね。よきアメリカの父親という印象があります」
ビッグバン・ベイダーといえば、漫画家の永井豪氏がデザインした甲冑も有名だが、「ベイダー!」の掛け声とともに噴出される煙はセコンドがリモコンで操作していたという。
毎週金曜夜8時の “プロレス中継” に心躍らせていた昭和時代。あらためて “解禁” された秘蔵写真を眺めると、当時の興奮が甦ってくる。
時は流れて令和になり、今では昔のような “まだ見ぬ怪物” という外国人レスラーは皆無になってしまった。オールドファンとしては、残念でならない。
おおかわのぼる
1967年生まれ 東京都出身 1987年「週刊ファイト」へ入社。その後「週刊ゴング」写真部を経て、1997年10月よりフリーカメラマンとして活動。メキシコをはじめ、海外でもプロレスを撮り続けてきた。2021年10月に『レジェンド』(彩図社)を刊行。東京・水道橋にてプロレスマスクの専門店「DEPO MART」を経営
取材&文・入江孝幸
写真・大川昇