4月10日のオリックス戦で、佐々木朗希投手が快挙を成し遂げた。初回2死、吉田正から13連続奪三振を記録し、最終的に19奪三振。プロ野球28年ぶりの完全試合を達成した。
「驚異的な記録です。13連続奪三振は、64年ぶりの日本記録更新なうえ、19奪三振も、1995年の野田浩司に並ぶタイ記録です。プロ野球の完全試合は、巨人・槙原寛己が1994年に広島戦で達成したのが最後です。しかも、20歳5カ月での達成は史上最年少記録です」(野球ライター)
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試合後、インタビューに応じた佐々木は「最高です」と喜びの声をあげた。完全試合については「正直あまり意識してないです。打たれたらそれでいいかなと思って、最後まで(捕手の)松川を信じて投げました」とコメントしている。
歴史に名を刻んだ佐々木投手だが、ここに至るまでは我慢の連続だった。
「佐々木といえば、大谷翔平選手ともよく比較され、高校時代から “令和の怪物” ともっぱらの評判でした。期待の大きさもあってか、高校3年の夏、甲子園出場をかけた花巻東高との県大会決勝では、『故障を防ぐため』という監督判断で登板回避に。当時は賛否をめぐって、大きな議論を呼びました」(同上)
プロ入りしてからも、忍耐の日々は続いた。1年めの登板はゼロで、ひたすら土台作りに専念。当時、井口資仁監督は佐々木について「試合レベルに達していない」と説明している。シーズン中は二軍登録のまま一軍に同行する、異例の方針が取られた。
そんな雌伏の “二軍ぼっち生活” を、本誌も目撃していた。2020年の11月、ひとり足取り重く二軍球場入りをした佐々木は、キャッチボールどころかグローブも持たなかった。
当時、右肘のトミー・ジョン手術を受けた直後の種市篤暉投手とともに、下半身強化中心のメニューをこなしていたのだ。佐々木は近所のロッテ選手行きつけの飲食店にも顔を出しておらず、二軍内で「ひとり浮いている」状態ではないかとの見方もあった。
野球解説者の江本孟紀氏は、当時、本誌の取材に「投球練習をしていないのであれば、どこか重大な “欠陥” があると勘繰られても仕方ないでしょう。佐々木については、僕はとても中途半端な状態になっていると思う」とロッテの方針を批判している。
その後、2021年3月、ついに実戦デビューをはたし、2022年に初めて開幕ローテーション入り。耐え続けた先で、圧巻のパフォーマンスを見せることとなった。
史上最年少の20歳で達成した快挙。佐々木投手の今後の成長から、目が離せない。
( SmartFLASH )