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元関脇・豊ノ島の愛されエピソードを一挙出し…断髪式には浜田雅功、今田耕司ら多数の芸人も参加
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.05.30 11:00 最終更新日:2022.05.30 11:00
2020年4月に現役を引退した元関脇・豊ノ島さんの断髪式が、5月28日に東京・両国国技館でおこなわれました。
豊ノ島さんは芸人顔負けのトーク力で、バラエティ番組に引っ張りだこ。芸能界の交友関係も広いようです。
この日もダウンタウンの浜田雅功さん、今田耕司さん、はなわさん、ナイツ・塙宣之さん、武井壮さん、長州小力さんなど多くの方たちが来場し、豊ノ島さんの髷にハサミを入れていました。
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筆者は以前、豊ノ島さんに、楽しいインタビュー取材をさせていただきました。
大相撲で横綱、大関に次ぐ地位の関脇にまで上りつめ、『ジャンクSPORTS』(フジテレビ系)をはじめ、数多くのメディアに露出し、順風満帆の相撲人生を送っていた豊ノ島さん。
しかし、2016年の名古屋場所前の稽古で、左アキレス腱断裂という大ケガに見舞われました。それにより二場所連続休場し、12年ぶりに幕下に陥落することになったのです。
幕下に落ちると給料はなく「養成員場所手当」として2カ月で15万円が支払われるだけ。要するに力士見習いになるのです。
当時33歳だった豊ノ島さん。関脇を経験し、相撲界ではベテランと言われる状況から、突如、見習いという立場を味わうことになりました。
ご本人は、「最初はすぐに関取に戻れる」と思っていたそうですが、度重なるケガにより、十両に復帰するまで約2年半も要することになったのです。
「幕下に落ちて、まず(プロとしての)給料がなくなって、付け人もいなくなりました。
食事や風呂の順番も番付順なんですよ。親方が気を使ってくれて、『そこは、いいよ』と言ってくれたんですけど、甘えたくないなと。ここで甘えたら、俺の相撲人生はすんなり終わるんじゃないかと思って、断りました。
だから、地方場所では若い衆と一緒に大部屋で寝ましたし、東京は、無給状態だったので、安い家賃の家に引っ越しました」
関取と幕下以下では天国と地獄ぐらい違うと言われています。その状況をプライベートでも改めて感じたと言います。
「幕下に落ちていた時期に、携帯が壊れて、機種変更に行ったんです。そのときに年収を書く欄があったんで、店員さんに『去年まではそこそこ収入があったんですけど、諸事情があって今は少ないんです』って相談したら、『今の年収を書いてください』って言われたんです。だから90万円と書きました。
そしたら店員さんに、『この年収だと審査が通らないので去年のでいいです』と言われて。関取時代の年収を書いたら、店員さんに『いや、何があったんですか!?』って驚かれましたね(笑)」
そんな時期を経験し、やっとの思いで幕内に復帰した際は、嬉しい出来事もありました。
「僕の十両復帰が決まった場所で、横綱の白鵬関が優勝したんで、そのお祝いの席に呼んでいただいたんですよ。
そしたら横綱から『今場所、すごい意気込みで頑張った力士がいて、見事、目標を達成できました』と、みんなの前で僕を紹介していただいたんです。
そのときに横綱と抱き合ったんですが、僕の耳元で横綱が「豊、まだ頑張ろうな」って……そしたら、涙が止まらなくなって。
2人で抱き合いながら『横綱って、やっぱり大きいな』と思い、感極まって、僕はずっと横綱を抱きしめていたんですよ。
それがあまりにも長かったんでしょうね。あとから、その場面の写真を見せてもらったら、横綱が『もういいだろう』って顔でちょっと引いてました(笑)」
今後は親方として後進の指導に当たるのはもちろんですが、バラエティ界でも、さらに活躍されることでしょう。18年間の現役生活、本当にお疲れ様でした。
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している
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