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アントニオ猪木さん死去! 本誌記者が銀座で目撃したファン相手に“闘魂注入5連発!”ビンタ姿

スポーツ 投稿日:2022.10.01 15:53FLASH編集部

アントニオ猪木さん死去! 本誌記者が銀座で目撃したファン相手に“闘魂注入5連発!”ビンタ姿

2014年、日大芸術学部の学園祭で学生に“闘魂注入”する猪木さん 写真・長谷川 新

 

 元プロレスラーのアントニオ猪木さんが、10月1日に死去した。79歳だった。

 

「燃える闘魂」のキャッチフレーズで知られる猪木さんは、ブラジルに移住していた少年時代に力道山の目に留まり、1960年にプロレスデビュー。故・ジャイアント馬場さんとともに、昭和のプロレスブームをけん引してきた。また、1989年にはスポーツ平和党を結成し、参院選に出馬。当選し、プロレスラーとして初の国会議員となった。

 

 そんな猪木さんの代名詞といえば、“闘魂注入”のビンタだろう。もともとは予備校生相手の講演後、「殴ってみな」という猪木さんの言葉に応じ、腹に本気で正拳を突いてきた予備校生に対し、反射的に猪木さんがビンタを食らわせたことがきっかけだ。ビンタを受けた受験生はみな合格する、とのジンクスが広まり、“闘魂注入”は縁起物のように広まっていった。

 

 

 かつて、猪木さんが飲んでいる姿を何度も目撃したという本誌記者が、“闘魂注入”のエピソードを語る。

 

「猪木さんは赤ワインが好きで、以前はよく、亡くなった奥さんと銀座のワインバーに来ていました。銀座といっても高級な店ではなく、サラリーマンでも入れるような店です。なので、そこで猪木さんを見かけると、たいていの人はとても驚くんです。

 

 あるとき、やはり5人ほどのサラリーマンが飲んでいるところに、猪木さんがやってきました。サラリーマンたちはザワつき始めて、やがてそのうちのひとりが猪木さんに声をかけたんです。『猪木さん、お願いがあります。“闘魂注入”していただけませんか』と」

 

 完全なプライベートだったが、猪木さんは笑いながらリクエストに応じ、そのサラリーマンに“闘魂注入”。サラリーマンはふらつきながら「ありがとうございました!」とお礼の言葉を叫んだ。

 

「するとそれがきっかけで、ほかのサラリーマンも猪木さんのもとに押しかけて『俺も、俺も』と“闘魂注入”のお願いをしてきました。ひとりだけというわけにもいかなかったのでしょう、猪木さんはお願いしてきたサラリーマン5人全員を相手に、“闘魂注入”をしていました。銀座のワインバーの店中に、『バチーン!』というビンタの音が鳴り響いていましたよ」(前出・本誌記者)

 

 猪木さんをよく知るプロレス関係者が語る。

 

「猪木さんはサービス精神旺盛で、酒の席で会ったファンと気さくに握手したり、“闘魂注入”に応じたりしていました。『“闘魂注入”をテレビでやるときは、1発ギャラ10万円なんだ。みんな、タダでやってもらって得したな。ダーッ!』なんて言いながら、大笑いしていたことを思い出します」

 

 決して「強い猪木」の姿を崩さなかった「燃える闘魂」。その姿は、ファンの脳裏に強く焼き付いている。合掌!

( SmartFLASH )

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