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棚橋弘至・新日本プロレス社長の勤務姿に初密着「スーツを5着しか持っていないので、四苦八苦しています(笑)」

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2024.01.27 06:00 最終更新日:2024.01.27 06:00

棚橋弘至・新日本プロレス社長の勤務姿に初密着「スーツを5着しか持っていないので、四苦八苦しています(笑)」

東京・中野の新日本プロレス本社の社長席に座る棚橋(写真・木村哲夫)

 

「社長~!!」

 

 1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で、棚橋弘至(47)が花道から登場すると、客席から多くの声が飛んだ。

 

「控室まで聞こえてくる大きな声援は嬉しかったですね。ただ、僕のなかでは“レスラー棚橋”の部分と“社長棚橋”の部分を分けていきたいと思うので、試合のときは『棚橋!』と応援してもらえると嬉しいです。『社長!』と呼ばれるのも、じつはまんざらでもないんですが(笑)」

 

 棚橋は、2023年12月23日付で新日本プロレスの代表取締役社長に就任した。1999年にデビュー。“100年に一人の逸材”と自称したとおり、2006年にIWGPヘビー級王座に輝くなど、長きにわたって新日本のエースとして活躍してきた。

 

 

 その一方で、2008年ごろから怪我に泣かされるなど精彩を欠いた時期もあった。しかし、2011年にIWGPヘビー級王座5度めの載冠を果たし、完全復活を遂げたのだ。

 

「プロレスラーとして、もうやり尽くしたかな、小さい体でよう頑張ったよ、という思いがよぎった時期もありました。2015~2016年ぐらいから、他愛もない会話のなかで周囲に『次は社長になるかな』みたいに話していたこともありましたね」

 

 当時、新日本プロレスは、人気的にもビジネス的にも絶好調だった。

 

「それが一転、コロナ禍で急速に業績がしぼんでしまったんです。2023年11月に木谷高明オーナーから社長就任を打診されたときは、むしろ『やるしかない』と強く思いました。今度は、社長としてV字回復を達成したい。選手としてもV、社長としてもVの“W字回復”を果たしたら、カッコいいなって思ったんです」

 

 社長就任後は、道場や試合に行く前に、事務所でのオフィスワークがスケジュールに加わった。

 

「スーツは、これまでは記者会見などで月に一回着るくらいでした。5着しか持っていないので、今は平日、毎日着ると1週間で手持ちがなくなっちゃうんです。僕はいつも違う服を着たいタイプなので、ネクタイを変えて四苦八苦しています(笑)」

 

 これまで新日本プロレスで選手と社長を兼任したのは、アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰爾の3人で、棚橋は19年ぶりの“二刀流”となる。

 

「社長と兼業するなかで、練習時間をどう生み出すかが大切です。やはり筋力やビジュアル、心肺機能に納得できる状態でリングに上がりたい。しかし、今後は加齢とも戦わなければならない。対戦相手に『社長に手を出したら減俸だ!』って、マウンティングするわけにもいかない(笑)。だって、プロレスというのは唯一、社長を殴れる競技ですからね」

 

 棚橋の理想は、誰より早く出社して、率先して掃除をするような、“いちばん動く社長”だという。

 

「IWGPヘビー級チャンピオンだったとき、僕は誰よりも練習をしてきた自負があります。ほかのレスラーが僕に追いつくためには、僕以上に練習をしなくちゃいけなかった。これからは、社員が僕の姿を見て、『社長のために頑張ろう』と思ってもらえたらなって。大きな広背筋に、ついてきてほしいです(笑)」

 

 背中で引っ張る“社長レスラー”は、こんな夢を描く。

 

「新日本の自前の会場を造りたい。今、後楽園ホールという格闘技の聖地で、多くの試合をおこなえていることは、とても光栄です。しかし、会社の規模を大きくしていくためには、3000~4000人を集客できる常設会場で、大きな大会を開催したいんです。新日本プロレスの創設者であるアントニオ猪木さんの名前をいただいて、たとえば市場が移転した築地なんかに、『猪木アリーナ』を造るなんて“夢”ですよね」

 

 そのためにも自分ができることはすべてやりたいと話す。

 

「僕のレスラーとしての知名度を生かして、会社にとってプラスになる案件があれば、どんどん飛び込んでいきたい。プロレスはほかのプロスポーツと比べて、選手とファンの距離が近い。ファンとツーショットを撮ったり対面で話したり、ときには一緒にご飯を食べることもあります。各ユニットにも熱心なファンがついてくださっているので、今後はより選手を身近に感じられるようなイベントを増やしていきたいですね」

 

 今の棚橋から、選手としてかつて抱いた“やり尽くした”という思いは消え去った。目指すのは、IWGP世界ヘビー級王座だ。

 

「一番を目指さなくなったときに闘魂は消えます。もう手が届かない、無理だと思ってしまったら、僕はすぐに引退します。それに、お客さんに『なんか棚橋、練習が足りてないな』って思われないように、意地でも王座を目指したい。大丈夫、僕は疲れないんです(笑)。もう一度、肉体をピークに持っていきますよ」

 

 1月4日の東京ドームでは、対戦相手である王者ザック・セイバーJr.から、胴締めスリーパーや卍固めに顔を歪めながらも8分53秒で3カウントを奪った。

 

 棚橋が東京・中野のオフィスビルで本誌を迎えてくれたのは、その数日後のことだ。

 

「大学卒業して、すぐに道場に入門して、プロレスラーとしての生活が始まったので。これまで社会勉強をしてきたつもりなんですけど、こうしたデスクワークなども、これから追いついていかないといけない。でも、(プロレスラーと社長の)どっちもできる人生って、すげえありがたいなと思ってます」

 

 身を屈めてキーボードを叩くその背中も、リング上と変わらず、やはり大きく見えた。

( 週刊FLASH 2024年2月6日号 )

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