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アントニオ猪木さん逝く “ブレイク直前”ロンブー淳への痛烈ビンタ写真【本誌が目撃した「燃える闘魂」名場面18枚】

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.10.01 17:22 最終更新日:2022.10.01 17:22

アントニオ猪木さん逝く “ブレイク直前”ロンブー淳への痛烈ビンタ写真【本誌が目撃した「燃える闘魂」名場面18枚】

ロンドンブーツ1号2号・田村淳にビンタする猪木さん

 

 元プロレスラー参議院議員も務めた、アントニオ猪木さんが79歳で亡くなった。「新日本プロレス」を設立し、プロレスラーとして初めて国会議員となり、近年は難病である「全身性アミロイドーシス」で闘病生活を送っていた。

 

 本誌は1986年の創刊時から猪木さんを追い続け、ボロボロになって戦う試合での姿や、北朝鮮当局から与えられたVIP待遇の詳細を報じてきた。

 

 1996年、本誌はブレイク直前のロンドンブーツ1号2号に密着。1995年から97年まで放送されていた深夜番組『急性吉本炎』(TBS系)のなかの人気コーナー「BINTA!」のスペシャル版の収録に立ち会った。

 

 

「当時はコギャルブームで、渋谷にはルーズソックス姿の女子高生が大勢いました。ロンドンブーツ1号2号の2人は、“生意気”なキャラのコギャルたちに思いっきりビンタをするコーナーを担当し、それがブレイクのきっかけになったのです。

 

 2022年4月に放送された『かまいたちの知らんけど』で、田村淳が当時のエピソードを披露すると、『今ではありえない企画や』と『かまいたち』の濱家隆一が驚いていました」(芸能記者)

 

 新日本プロレスのグッズ専門店「闘魂ショップ」で女性店員を捕まえた2人は、女性店員に「バッシ~ン!」とビンタして高笑い。そこに突然、猪木が現れると、淳に電光石火の一撃を加えたのだった――。

 

「口から血を流して淳はナミダ目に…」と、本誌記事は締めくくっているが、もちろん猪木さんのサービス精神ゆえ。本誌が追い続けてきた猪木さんは、いつも“絵になる男”だった。

( SmartFLASH )

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