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北朝鮮でも大人気だった猪木さん 日朝スポーツ交流に尽力、平壌でのプロレスは「史上最高」19万人の観客動員

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.10.01 17:40 最終更新日:2022.10.01 21:39

北朝鮮でも大人気だった猪木さん 日朝スポーツ交流に尽力、平壌でのプロレスは「史上最高」19万人の観客動員

リック・フレア―(右)に足4の字固めを決められる猪木さん

 

 元プロレスラーのアントニオ猪木さんが、10月1日に死去した。79歳だった。

 

「燃える闘魂」のキャッチフレーズで知られる猪木さんは、ブラジルに移住していた少年時代に力道山の目に留まり、1960年にプロレスデビュー。故・ジャイアント馬場さんとともに、昭和のプロレスブームをけん引してきた。また、1989年にはスポーツ平和党を結成し、参院選に出馬。当選し、プロレスラーとして初の国会議員となった。

 

 猪木さんといえば思い出されるのは、北朝鮮との関係だ。師匠である力道山の出身地だったことから北朝鮮に興味を持った猪木さんは、1994年3月に初訪朝。以来、訪問は33回を数えた。日朝間のスポーツ交流を夢見て、拉致問題や南北統一など、北朝鮮が対外的に抱える問題の解決にも積極的に取り組んでいたとされる。

 

 

 1995年には、平壌でプロレスをメインに据えたイベント「平和のための平壌国際体育・文化祝典」を2日間にわたって開催した。日本からは馳浩、蝶野正洋、ブル中野、北斗晶など、当時の人気プロレスラーが多数、参戦。この試合を見るためのツアーは、日本からも参加することができた。参加した人物が、そのときのことをを振り返る。

 

 平壌に着くなりバスで移動させられ、ホテルへ直行。猪木さんたちは市内の超高級ホテルだったようですが、我々が泊まったのは『観光ホテル』と呼ばれるホテルでした。それでも、レストランやバーがあるなど、施設は充実していました。なぜかというと、我々のような観光客は、自由に外出ができないからです。結局、ホテル内で飲食をすますしかない感じでした」

 

 外出こそ自由にできなかったが、この参加者はホテルで猪木さんの人気ぶりを知り、驚いたという。

 

「土産物店には、猪木さんの像が売られていました。また、バーには少し日本語ができるバーテンさんがいたのですが、とにかくその人は『猪木先生、猪木先生』を連発して。いかに猪木さんは偉大な人物か、試合が楽しみで仕方ない、ということを熱烈にアピールしていました。実際、2日めのメインである猪木さんとリック・フレアーの試合は、超満員。ふだんはマスゲームをおこなうスタジアムが会場だったのですが、グラウンドまで人がぎっしりの状態でした」

 

 この日の観客動員数は19万人と、プロレス史上最高の数字を記録している。ジャーナリストの有田芳生氏は、猪木さんの訃報に接し《北朝鮮との重要なルートが、また消えてしまいました。安倍総理、菅総理、岸田総理は、拉致対策本部の役に立たないルートを信じて、何も進みませんでした。猪木さん、おつかれさまでした。》とツイートしている。北朝鮮とのかけがえのないパイプを失ったことは、日本にとっても大きな損失だ。

( SmartFLASH )

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