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インディ500日本人初優勝「佐藤琢磨」ひとり自転車部だった
エンタメFLASH編集部
記事投稿日:2017.06.09 06:00 最終更新日:2017.06.09 06:00
「マシンの開発が各チームにまかされるF1に対して、インディカーで使用できるエンジンは、ホンダとシボレーのみ。そのため、ドライバーの実力が勝敗を大きく分けるのです。
錦織圭がウィンブルドン優勝、松山英樹がマスターズを制覇するくらいの快挙です」(自動車ジャーナリスト)
5月28日、F1「モナコ・グランプリ」、耐久ロードレース「ル・マン24時間レース」とともに世界3大レースに数えられる、米国発祥のモーターレース「インディアナポリス500マイル」で日本人初優勝、2億7280万円の賞金を獲得した佐藤琢磨(40)。
今年で101回めの開催を迎えた歴史ある大会での快挙に、マイク・ペンス米副大統領が、ツイッターで祝意を述べるなど、全米の話題を集めた。
「レース後、チーム専用のジェット機でニューヨークへ移動。FOXやCBSに出演するなど、引っ張りだこでした」(前出・ジャーナリスト)
母の昭子さんが、レース直後の様子を明かしてくれた。
「連絡をくれたのですが、まともに会話する余裕はありせんでした。『眠い。ダウンです』のふた言だけ(笑)」
アイルトン・セナ(故人)などトップレーサーの多くは、幼少期からカートを始め、ステップアップしていくのが一般的。ところが、佐藤は19歳まで自転車競技の選手という異例のキャリアの持ち主だ。
「車好きの主人は、フェラーリ、マセラティなど、10台近い外車を所有していました。琢磨は小学校に上がると、助手席に子供用のサイドチェアとハンドルを取りつけて、運転の真似をしていました。
10歳のときに鈴鹿サーキットにF1観戦に行ったのですが、『そのとき受けた衝撃がレーサーとしての原点』と、インタビューで語っていましたね。ただ、まだ運転できない年齢だったため、『車輪がついているから』と、中学に上がると自転車競技に打ち込むようになったんです」(昭子さん)
高校は和光学園に進学した佐藤は、担任に顧問を頼み、部員は自身のみの自転車部を創部。一人で練習を続け、高校総体で優勝。そんな佐藤に惚れ込んだのが、早稲田大で指導にあたった自転車部元監督の大原寛一氏。
「私は2人の五輪選手を指導した経験があるのですが、彼ら以上に琢磨は体幹がしっかりしていて、疲れていてもフォームが崩れなかった。私は『将来、すごい選手になれる』と伝えました。自転車競技を続けていれば、五輪に出場できていたはず」
世界最高峰の大会で頂点に立った佐藤は、インディカー・シリーズ(全17戦)6戦を終えて総合3位。夢の年間王者へ向け疾走する。
(週刊FLASH 2017年6月20日号)