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村田兆治さん「事件後はぐったり」近隣住民が見ていた“異変”…独居15年、最期は「火傷なくきれいな顔でした」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.11.14 06:00 最終更新日:2022.11.14 06:00
昭和の名投手がこの世を去った。
11月11日午前3時10分ころ、世田谷区成城にある村田兆治さん(享年72)の自宅で火事が起き、村田さんは病院に運ばれ、死亡が確認された。
東京消防庁によると、近隣住民から通報を受け、消防車など26台が出動。午前6時51分に鎮火し、延焼は防いだ。
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村田さんの本人確認を求められた隣家の住民は、「火傷はなく、お顔もきれいでした」と語る。
村田さんはロッテの現役時代、豪快な「マサカリ投法」で215勝を挙げ、引退後も少年野球に携わっていた。一方、9月に羽田空港の保安検査場で女性検査員に暴行した容疑で逮捕される事件があった。
「ダイエーで投手コーチを3年務めた後は、2008年には『離島甲子園』を提唱し、野球普及を通じた地域振興の活動に励んでいました。ただコロナ禍もあり、『教える機会が減った』と寂しそうにしていました」(スポーツ紙デスク)
「空港での事件後は、顔色も悪くなり、ぐったりと歩く感じで心配でした」(近隣住民)
また、別の住民は、「私が1997年に引っ越してきて2年ほどは、奥様ともよくお会いしましたが、その後は親御さんの介護のために神戸の実家に帰ったそうで、いっさい姿を見ていません。また、2人のお子さんも15年くらい前に独立し、家には村田さんしかいなかったと思います」と語った。
ロッテで苦楽をともにした愛甲猛氏(60)が述懐する。
「現役時代、若手と話しながらアップしていたら、村田さんに説教されました。『レギュラーは人を寄せつけない雰囲気でやらなければいけない』と。本当に実直な方でした」
思うようにできない子供たちへの指導。独居生活に暴行事件による逮捕。村田さんは孤立を深めたのか「最近は元気がなかった」と、住民は口を揃えた。
写真・伊藤 修