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アントニオ猪木さんは「最後まで闘う人だった」…藤波辰爾が送る言葉【2022年に逝った英雄】
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.12.17 06:00 最終更新日:2022.12.17 06:00
一国を率いた大人物、単調な毎日に笑いを提供してくれた才人、違う世界を見せてくれた名優、夢を与えてくれたスポーツ選手。今年も、私たちを置いて先に逝ってしまった人ーー。彼らをよく知る人物からの“挽歌”を取材。
■プロレスラー アントニオ猪木さん(10月1日没 享年79)
◎憧れの猪木さんは最期まで闘う人でした(プロレスラー 藤波辰爾さん)
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憧れだった猪木さんの付き人になったのは16歳のときでした。猪木さんは27歳。夢のような気持ちだったことを覚えています。当時は年間に地方巡業が250回くらいありましたから、洗濯や風呂での背中流しなど身の回りのお世話をすべてやりました。
1971年に猪木さんが日本プロレスを除名されたとき、私は当然ですが猪木さんの元に駆けつけました。その3日後、ご自宅に着替えをお持ちしたら立派なお庭を更地にする工事が始まっていて驚きました。電光石火、道場を建てたのです。「日本プロレスを見返してやる」という猪木さんの迫力はすごかった。
晩年、普通は病んだ姿を他人に見せたくはありませんが、猪木さんは闘う姿を最期まで我々に見せてくれました。
■元プロ野球選手 村田兆治さん(11月11日没 享年72)
◎投手全員に配られた「十勝ワイン」(野球評論家 愛甲 猛さん)
亡くなったのは、じつは兆治さんとの対談のお話をいただいた矢先のことで、会えることを楽しみにしていたんです。
プロ1年めのキャンプで部屋に戻ったら、兆治さんから投手全員に十勝ワインが届いていた。十勝は “じゅっしょう” と書くから、それだけ勝てる投手になれよ、という思いだったんですね。
兆治さんの200勝達成時のウイニングボールをつかんだのは僕だったし、感慨深いものがあります。野球にすべてを捧げた人で、僕ら野球バカから見ても「マウンドで死ぬんじゃないか」っていうくらい野球に実直な方だった。「人生先発完投」っていつも色紙に書いていましたし、投げることが命の人が、まさか自宅の火事で……亡くなり方も残念で仕方ありません。