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前田智徳、自由自在にバットを操って弱点ゼロの最強打者【谷繁元信・強打者の弱点の見つけ方】
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.01.30 16:00 最終更新日:2023.01.30 16:00
捕手として2963試合に出場し、デビューから27年連続本塁打のギネス記録、3021試合出場のNPB記録を打ち立てた、元中日ドラゴンズ監督の谷繁元信氏。
そんな不世出の名捕手が、これまで対戦してきた強打者・巧打者とどんな駆け引きをしてきたのかを、著書『谷繁ノート』にまとめた。誰も気づいていない弱点をどのように探っていったのか、一部を紹介しよう。
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過去、私が対戦したなかで一番嫌な打者、イコール「一番いい打者」だと思ったのが前田智徳選手(元広島)だ。
ストライクゾーンには、左右高低3つずつに区切って9マスある。一流の打者でも、9マスのなかでどこかに弱点があるものだが、前田君はとにかく弱点らしい弱点がなかった。
前田君は各エリアでバットの角度が違う感じがする。外角高目はバットのヘッドがちゃんと立って出てくる。外角低目はこう、内角高目はこう、内角低目はこうと、それぞれ常にヒットになるようなバットの出し方をしてくる。自由自在にバットを操る。
その9マス、内角であっても外角であっても、ストレートであっても変化球であっても関係ない。打球を全部90度のフェアグラウンドに入れてくる。唯一、ミスするのはド真ん中だろうか。逆に迷ってしまうからか(苦笑)。
たとえば同点の9回二死満塁、打者・前田を迎えたとする。
投手にもよるが、外角低目主体になるだろう。もしくは打ち損じを待つ。ただ、好打者が「打率3割・打ち損じ7割」のところを、前田君の場合は「打率5割・打ち損じ5割」の覚悟で臨んだ。好調のときは打率5割を打つのではないかと私は感じていた。
前田君はプロ2年目の1991年、「1番・センター」で開幕戦のスターティングメンバーを勝ち取る。そして、いきなりホームラン。プロ初本塁打を開幕戦先頭打者本塁打で飾ったのは前田君だけだ。
のちに2番打者でレギュラー定着し、7年ぶりリーグ優勝に貢献。外野手として史上最年少のゴールデングラブ賞を獲得。1994年まで4年連続で獲得した。
しかし、95年5月23日のヤクルト戦、一塁への走塁時に右アキレス腱を断裂する。
それでも、前田君は不屈の闘志で復活し、2013年に引退するまで現役生活を24年続けた。ケガでシーズンを棒に振った年もあったが、それでも打率3割11回は驚異的だ。「たら、れば」の話になるが、アキレス腱を故障しなかったら、単純計算で1シーズン150安打×実働20年で3000安打を打っていたと思う。それくらいの打者だった。
球史を代表するバットマン、落合博満さん、イチロー選手、松井秀喜選手も、異口同音に前田君を「日本一の打者」だと絶賛した。
現役時代はグラウンドで、常に野武士的な雰囲気を醸し出していた。ポーカーフェイスでいつも冷静。「シゲさん、こんにちは」でいつも冷静。試合の最初の打席でそのひとことだけ。ルーティンも毎回一緒。よくバットを指でコンコンと叩いていた。
お互い現役を引退して野球解説者になってから、ゴルフの話はよくするが、野球の話はなぜかしない(笑)。
谷繁元信(たにしげもとのぶ)
1970年、広島県生まれ。右投げ右打ち、176センチ・81キロ。島根・江の川高校(現・石見智翠館高校)卒業。1988年、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)入団。2002年、中日ドラゴンズに移籍。2014年からはプレーイング・マネジャーを務め、15年限りで現役を引退すると、翌年から専任監督に。通算成績は2108安打、打率.240、229本塁打、1040打点。通算3021試合出場は日本記録、捕手として2963試合出場は世界記録。ゴールデングラブ賞6回、ベストナイン1回、最優秀バッテリー賞4回受賞。オールスターゲーム12回出場。著書に『勝敗はバッテリーが8割~名捕手が選ぶ投手30人の投球術』(幻冬舎)、『谷繁流 キャッチャー思考~当たり前の積み重ねが確固たる自信を生む』(日本文芸社)がある。
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