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金本知憲は、なぜファーストストライクをほとんど振らなかったのか【谷繁元信・強打者の弱点の見つけ方】

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.01.29 16:00 最終更新日:2023.01.29 16:00

金本知憲は、なぜファーストストライクをほとんど振らなかったのか【谷繁元信・強打者の弱点の見つけ方】

 

 捕手として2963試合に出場し、デビューから27年連続本塁打のギネス記録、3021試合出場のNPB記録を打ち立てた、元中日ドラゴンズ監督谷繁元信氏。

 

 そんな不世出の名捕手が、これまで対戦してきた強打者・巧打者とどんな駆け引きをしてきたのかを、著書『谷繁ノート』にまとめた。誰も気づいていない弱点をどのように探っていったのか、一部を紹介しよう。

 

 

 金本知憲さん(元広島、阪神)がデビューした広島時代は、全部フルスイングのような印象があった。そのぶん穴も大きかったが、年々レベルが上がっていった。もともと「振る力」「体の力」があったところに、さらに練習で力をつけていった感じがする。

 

 金本さんがレギュラーになったあたりからは、「狙い球」と「配球」の読み合いだった。先日、テレビ番組で対談する機会があったのだが、金本さんは言っていた。

 

「技術がなかったから来た球をそのまま打てないので、配球を読んで打たないといけなかった」

 

 金本さんはファーストストライクをほとんど振ってこなかった。疑問をそのときにぶつけてみたら、返ってきた答えが実に奮っていた。

 

「投手のウイニングショットを打ちたかったんや。それで相手にダメージを与えたかった。だから1球目を打たなかった」

 

「追い込まれてからのウイニングショットを打ちたい。とはいえ、追い込まれたらそうは打てるものじゃない。だから四球狙いに切り替えて、投球をカットして見極めて四球を取ることも考えた」

 

 それが王さん・落合さんに次ぐ史上3位の通算1368四球という結果を残しているということだ。一方、通算1707三振も史上6位。しかし、打者としての美学を感じる。

 

 当時は初球を打ってこない理由がわからなかったが、打席の中でいろいろ考えている打者であることが肌で感じられた。いずれにせよ超一流打者との駆け引きは、捕手として面白かった。

 

 金本さんが苦手にしていたのは、中日の岩瀬仁紀だ。岩瀬はけっこうコントロールがいいのだが、左投手の投じる、打者の背中のほうから来るスライダーや、懐に食い込むシュートが、金本さんのときに限ってなぜか抜け気味だった。死球になるような感じだった。

 

 左投手の田辺学さんとか河原隆一(いずれも横浜)も、金本さんは苦手だったそうだ。

 

 

谷繁元信(たにしげもとのぶ)

1970年、広島県生まれ。右投げ右打ち、176センチ・81キロ。島根・江の川高校(現・石見智翠館高校)卒業。1988年、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)入団。2002年、中日ドラゴンズに移籍。2014年からはプレーイング・マネジャーを務め、15年限りで現役を引退すると、翌年から専任監督に。通算成績は2108安打、打率.240、229本塁打、1040打点。通算3021試合出場は日本記録、捕手として2963試合出場は世界記録。ゴールデングラブ賞6回、ベストナイン1回、最優秀バッテリー賞4回受賞。オールスターゲーム12回出場。著書に『勝敗はバッテリーが8割~名捕手が選ぶ投手30人の投球術』(幻冬舎)、『谷繁流 キャッチャー思考~当たり前の積み重ねが確固たる自信を生む』(日本文芸社)がある。

 

●『谷繁ノート ~強打者の打ち取り方』詳細はこちら

( SmartFLASH )

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