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“虎の村神様”阪神・村上頌樹「31回無失点」の魔球「真っスラ」を生んだ亡き「淡路島の恩師」【独自発掘】

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.05.10 06:00 最終更新日:2023.05.10 06:00

“虎の村神様”阪神・村上頌樹「31回無失点」の魔球「真っスラ」を生んだ亡き「淡路島の恩師」【独自発掘】

セ・リーグ記録タイの31回連続無失点の村上頌樹(写真・時事通信)

 

「すごいなあ。打てそうにないなあと見てるよ、ほんま」

 

 快投を続ける阪神タイガース村上頌樹(しょうき)投手(24)は、4月29日のヤクルト戦で“本家・村神様”こと、村上宗隆(23)をノーヒットに抑えた。

 

 その様子を見て、ふだんは「アレ」を連発する岡田彰布監督(65)から、珍しく率直な感想がこぼれ出たのだった。

 

 

 4月1日にリリーフで今季初登板を果たすと、12日の巨人戦では7回をパーフェクトピッチングで抑えていたが、岡田監督が交代を決断し、打たれぬまま完全試合を逃すという珍事が話題に。そのまま先発ローテーション入りを果たすと、“防御率0.00”の快進撃。

 

 5月9日のヤクルト戦で、連続無失点記録はセ・リーグ記録タイの「31回」でストップしたが、いまだ取られた点数は、ソロホームランの1点だけだ。

 

「大卒のプロ3年めで台頭してきた“苦労人”に思えますが、奈良・智辯学園高校時代の2016年にはセンバツ優勝投手に輝き、東洋大学では、怪我での離脱もありましたが絶対的エースでした。

 

 プロ入り後も、二軍で投手タイトルを総なめにするなど、期待されていましたが、今季、大きく飛躍をとげたのは、直球に磨きがかかったから。“浮き上がる魔球”と呼ばれるほど回転数が多く、スライダー気味に伸びる直球は、そう簡単には打てないでしょう」(スポーツ紙記者)

 

 その魔球を武器に、いまや“虎の村神様”と呼ばれる男の故郷は兵庫・淡路島にある。

 

「私が指導しはじめたとき、中学2年生の村上君に出会いました。そのときから、『真っスラ』と言うんでしょうか、スライダー気味の直球を投げていたんです」

 

 こう話すのは、元阪神の外野手・庄田隆弘さん(43)だ。庄田さんも智辯学園出身で、大学、社会人を経て、2004年にプロ入り。現役引退後、コーチを務めた中学硬式野球「アイランドホークス」で、のちに“後輩”となる村上に出会った。

 

「普通の中学生投手とは、球の軌道がまったく違いますから、打者は簡単には打てません。当時から村上君は、かなり負けん気の強い子で、たとえば真っスラをヒットにされるとムキになり、もう一度、真っスラをわざと同じコースに投げるんです。それで、また打たれたり。

 

 マウンドでの喜怒哀楽が激しく、連打されると、顔を紅潮させて涙を浮かべることもありましたね。ただ、周囲がミスしたときは残念さを見せない。『あとは抑えるから』といった表情で、チームメイトを見守っていたのが印象的でした」(庄田さん)

 

 意地っ張りな一面は、中学3年時の全国大会出場を懸けた試合でも。庄田さんが続ける。

 

「前日練習で村上君は足首を捻挫し、監督から『登板させない』と言われていました。しかし、当日は試合前からブルペンに向かって、『俺に投げさせろ』と言わんばかりに、投球練習を始めるんです。しかも、いままで見たことのないような球でした。これには監督も折れて、登板させたらものすごい投球です。チームも勝ち、全国出場を決めました」

 

 淡路島で取材を続け、村上の野球歴を掘り下げていくと、“魔球”の原点に行き着いた。小学生時代に所属した「賀集少年野球クラブ」で一緒だった保護者はこう話す。

 

「チームメイトにもうひとり『しょうき君』がいたので、彼は『むらしょー』と呼ばれていましたね。6歳上のお兄さんの影響で、保育園児のころから野球をしに来ていました。当時から投手をやっていたんで、“投球のイロハ”を早くに理解したんだと思います。小学3年生のとき、6年生のエースが打たれた後にリリーフ登板して、ピシャリと抑える投球を見せていました。

 

 相手の監督が『3年生投手やぞ、恥ずかしくないんか!』と、選手たちにカミナリを落としていました(笑)。そんな投球ができたのも、当時の久米監督のおかげです」

 

 賀集少年野球クラブで監督を務め、村上を指導したのが久米守氏だった。だが、村上のプロでの大活躍を見る前に、2022年、帰らぬ人となった。

 

「久米監督も投手出身。『頌樹のフォームは自分が作った』と話していましたが、そのとおりですよ。

 

 村上君の武器は回転数の多い直球ですが、あれは久米監督が『ボールをリリースするときは、帽子のつばの先に手が来るまで我慢や。つばのいちばん先に来た瞬間に、ボールを離すんや! そうすれば指にかかって、いい回転のボールがいく』と教えていたんです。

 

 指導していたのは、少年野球時代だけではありません。大学時代も、村上君が淡路島に戻ると、久米監督のところでフォームをチェックしてもらっていたんですよ」(前出の保護者)

 

 淡路島を熱狂させる大活躍は、天国の恩師にも届いているはずだ。

 

※成績は2023年5月9日時点

( 週刊FLASH 2023年5月23日号 )

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