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大谷翔平 「女子アナは名前も知らない」「ホラー映画を一緒に鑑賞」日ハム先輩が語る“陽キャラ男”の素顔
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.09.15 06:00 最終更新日:2023.09.15 11:15
大学・社会人を経て2010年に入団した増井浩俊さん(39)は、大谷とちょうど10歳差。2017年まで日ハムで、以降は引退を決めた2022年までオリックスで、おもに中継ぎ、抑えとして活躍。通算150セーブ・150ホールドを達成した史上2人めの名投手だ。
増井さんら、当時の中堅選手が、大谷ら若手とともに暮らした札幌寮。みんなで揃って楽しめる、オフの気晴らしはあったのだろうか? 増井さんは笑みを浮かべて回想する。
「有原(航平)や翔平らとの間では、誰かの部屋に集まっては、ホラー映画を観るのがちょっとしたブームになっていましたね。ハマったのは『SAW』シリーズで、全作順番に観ました。そういうときって白村(明弘)が過剰反応するんですよ。それを見て、翔平は怖がるより笑ってました。鑑賞後、みんなで廊下やトイレの前で待ち伏せしたりして、脅かし合うのが楽しかったですね。僕は(シリーズに登場する)ビリー人形のマスクまで買って、翔平をビビらせました(笑)」
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2019年、ヤクルトで選手生活を終えた大引啓次さん(39)は、2013〜2014年に日ハムに在籍。入団同期の大谷を長い目で見守ろうとする、球団の姿勢に感服した。「チームカラーが大谷を育てた」と語る。
「北海道に移転し、稲葉(篤紀)さんや新庄(剛志)さんが加入し、ファンサービス第一の明るいムードが作られた。新人には3年めまで口を出さないとも聞きました。2013年の選手会納会ゴルフコンペでは新人の翔平も見かけ、意外に思ったのを覚えています」
大引さんは2020年2月、日ハムから特別研修コーチとしてレンジャーズに派遣された際、エンゼルスのアリゾナキャンプを訪れ、大谷と会った。
「大引さん、何しに来たんですか? と、いつもの調子ですよ(笑)。翔平はいい意味で、部活の延長で野球をやっているように見えます」
大引さんと入れ替わるように、ヤクルトから2014年に日ハムに移籍した増渕竜義さん(35)は、翌2015年の引退まで、一度も一軍に上がれずじまいだった。2006年の高校ドラフト1位で、ヤクルトでは2010〜2011年の短い期間だったが、中継ぎの切り札として鳴らした。
「ファイターズでは一軍の公式戦に出られず、翔平と一緒にメシに行ったのも、2015年のオープン戦後のこのとき(写真)が最初で最後。(斎藤)佑樹や吉川(光夫)、高梨(裕稔)らも一緒で、札幌のもつ鍋店でした。翔平はガツガツした感じではなく、少し遠慮しながら食べてました」
増渕さんによれば、このときは野球の話はほとんどせず、雑談に花が咲いたという。
「そこで、翔平の好きな女性のタイプの話になったんですよ。そうしたら、本人は『優しくて尊敬できる、普通の女性がいい』と。たとえば? と振ると、『有名な女優とかに興味ないんです』と言うんで、『女子アナとかに、将来出会っちゃうんじゃないの?』と突っ込むと、女子アナの名前自体、知らないと言っていました(笑)。女性にはあまり興味を示さないのに、先輩にはわりとグイグイ来る。彼独特のイジりやおちょくり。脇腹とかコツンとやって、人を惹きつけるというか、自分の仲間にしていくんですよね」
増渕さんは、2016年から埼玉・上尾で小中学生向けに野球教室を開校。生徒らは異口同音に大谷を目標に挙げるという。
今やメジャーの一流選手らとふざけ合うこともある大谷。その“陽キャラ”は天性のもののようだ。
ますいひろとし
1984年生まれ 静岡県出身 2010年に日ハム入団。2018年にオリックスに移籍し、2023年1月に引退発表。通算163セーブ・158ホールド
おおびきけいじ
1984年生まれ 大阪府出身 2007年にオリックス入団。2013年に日本ハムへ移籍し、2015年にヤクルトへ。2019年に引退し、2021年に日体大入学
ますぶちたつよし
1988年生まれ 埼玉県出身 2007年にヤクルト入団。1914年に日本ハムへ移籍し、2015年に引退。2016年に上尾ベースボールアカデミー開講