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大谷翔平「スマホガチャに課金」「ショボキャラしかでない!」とむくれ顔…日本ハム先輩が語る“ゲーマー”の素顔

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.09.15 06:00 最終更新日:2023.09.15 11:18

大谷翔平「スマホガチャに課金」「ショボキャラしかでない!」とむくれ顔…日本ハム先輩が語る“ゲーマー”の素顔

左から時計回りに増渕竜義さん、斎藤佑樹さん、高梨裕稔、有原航平、大谷翔平、浦野博司さん、乾真大さん、吉川光夫。「翔平は常にニコニコしていて先輩から好かれる」(増渕さん)

 

 二刀流でMLBの常識を覆した大谷翔平(29)が、NPBの日本ハムに在籍したのは2013年から2017年の5年間。この時期に、大谷と同じ釜の飯を食った、同世代の元チームメイトに尋ねると、天才プレーヤーにも意外な側面が……。酒の肴になる話を一挙公開!

 

 榊原諒さん(38)は中京高時代、甲子園に2度出場。ドラフト2位で2009年に入団し、2010年には新人王を獲得。スター候補生だった榊原さんから見ても、大谷は別格だった。

 

「翔平と被ったのはルーキーイヤーの2013年だけですが、19歳で自己管理ができて、すでにプロの自覚があった」

 

 

 大谷は1年めから一軍スタート。榊原さんはその年、ほぼ二軍の本拠地である千葉・鎌ケ谷暮らしだった。だが、沖縄・名護での春季キャンプでは一緒。そこで休憩時間に大谷を見つけて歩み寄った。「おお、噂のドラ1、すごい選手来た来た〜。サインちょうだい!」とねだると……。大谷は「やめてくださいよぉ。そんなんじゃないですってばぁ」と照れながらも、スラスラ書いてみせたという。

 

「ほかにも稲葉(篤紀)さんや金子(誠)さん、二岡(智宏)さんといったレジェンド選手からサインをもらったんで、たまたま色紙があったんです(笑)。でも、後輩でもらったのは1歳下のダル(ビッシュ有)と翔平ぐらいですね。マジでサインが欲しいと思える存在でした」

 

 当時の日ハムは、正捕手がなかなか定まらなかった。黒羽根利規さん(36)が、シーズン途中に横浜DeNAから移籍した2017年もそうだった。

 

「自分の役割は承知していたし、それ以上望みませんでした。そもそもなかなか一軍に上がれず、大谷くんの球を公式戦で受ける機会はなかった。ブルペンで、力を抜いた140キロ台の直球を受けただけです」

 

 現在、国産蜂蜜の生産販売を手がける会社に勤める黒羽根さんは、ほかの同僚とは違って「翔平」と呼ぶことができなかったという。

 

「彼はマジですごい選手なわけで、やっぱり馴れ馴れしい気がして。彼のLINEのアカウントを知っていますし、僕のインスタもフォローしてくれているのが密かな自慢ですが(笑)、僕の中ではいつまでも“大谷くん”ですね。移籍してすぐ、バッティング練習で一緒になり、他愛のない内容だったんですけど、大谷くんから頻繁に話しかけてくれたんですよ。なんで? って聞くと、『新しく来た人に対して、やっぱり後輩から先輩との距離を縮めるもんなんじゃないですか』と。その言葉に衝撃を受け、以来、人としてリスペクトしてます(笑)」

 

 大谷の球を、一軍公式戦では受けられなかった捕手がもう一人いる。現在は、東京消防庁大井消防署で働く荒張裕司さん(34)だ。荒張さんは、日ハムに在籍した2010年から2016年の間、一度も一軍登録されていない。

 

「だからこそ、ファームでバッテリーを組んだ2013年の3試合は忘れられません。翔平の球はストレートでも角度がついて低めに来て、あまり高めに浮かない。フォークボールも150キロ台なので、受け損なうとキャッチャーが怪我します。自分の身を守るために必死でした(笑)」

 

 一方で荒張さんは、大谷が甲斐甲斐しくバットボーイを務める姿が目に焼きついている。プロ1年めの大谷の教育係は、1期上で今ではエース格の上沢直之だった。その2人が「懸命に雑用をこなしていたのが微笑ましかった」という。

 

 荒張さんは通算足かけ7年、鎌ケ谷の二軍施設「勇翔寮」で暮らしたが、途中からは近くに家を借りた。そこは、大谷や同期が行きつけにする焼き肉店の真裏だったという。

 

「繁華街ではなく静かな住宅地でした。その場に居合わせたわけじゃないんですが、大谷の同期会をそこでやるとの情報が洩れて、メディアが殺到して大騒動になったと、後で店の人に聞かされました。有名人は一挙手一投足が注目され、気が抜けずに大変だなぁと。アメリカではもっと苦労しているでしょうけど」

 

 佐藤祥万さん(34)も、デビュー直後の大谷のプライベートを目撃した貴重な証言者。黒羽根さんと同じくDeNAから移ってきた外様組だった。2014年のみ日ハムで過ごし、合同トライアウトを経て2015年に広島に移り、2018年に引退した佐藤さんは今、愛知県にある木材の製造販売会社で働く。

 

「初めて会ったのは、名護でのキャンプだったはずです。自分は人見知りだったので、なかなか投手陣と打ち解けられずにいたのを、翔平がつかつかとやって来て、『わからないことがあれば、なんでも聞いてくださいね』って言うんです。そのひと言でどれだけ救われたか。彼もまだ2年めだったんですけどね(笑)」

 

 大谷としゃべっていると、ほかの投手も気兼ねなく声をかけてきた。大リーグ中継を見ても、たとえば大谷とモニアックの会話にフレッチャーが割って入るなど、自然にコミュニケーションの輪が広がるのがわかるという。佐藤さんはさらに振り返る。

 

「日ハム時代、僕は一度も一軍で登板しなかったんです。翔平は基本的に札幌にいましたが、時々公式戦を休み、調整のために鎌ケ谷に来るんで、オフには一緒にゲームをよくしました。当時、投手仲間で流行っていたゲームは『ONE PIECE』の『トレクル(トレジャークルーズ)』。矢貫(俊之)さんが音頭を取って、大塚(豊)さんらと寮のロビーで雑談しながらプレーしました」

 

 ファッション談義をしても、「みんな服とか買ってるけど僕、全然物欲ないんです」と語る大谷にのけ反った佐藤さん。それでも「欲しい物ないんだ?」と念を押すと、大谷はイラつき気味にこう答えたという。

 

「ガチャでのいいキャラですかね。これってなんべんやっても、ショボキャラしか出ないんですよ!」 ふだんクールな大谷のむくれ顔を佐藤さんは忘れられない。

 

「野球一筋の翔平が、なぜかゲームだけには熱くなり、課金してました(笑)」

 

 大谷は『トレクル』に、そして現在ハマっているという『クラッシュ・ロワイヤル』にいくら使ったのか……。

 

さかきばらりょう
1985年生まれ 愛知県出身 2009年に日本ハム入団。2010年に新人王獲得。2014年にオリックスに移籍し、2015年に引退

 

くろばねとしき
1987年生まれ 神奈川県出身 2006年横浜入団。2017年に日本ハムへ移籍し、2020年に引退。現在は国産蜂蜜の生産販売会社に勤務

 

さとうしょうま
1989年生まれ 栃木県出身 2008年に横浜入団。2014年に日本ハムへ移籍し、2015年に広島へ。2018年に引退。現在、木材製造業に従事

 

あらはりゆうじ
1989年生まれ 大阪府出身 独立リーグの徳島インディゴソックスを経て、2010年に日本ハム入団。2016年に引退。2018年に東京消防庁入り

( 週刊FLASH 2023年9月26日・10月3日合併号 )

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