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引退発表の小野伸二、本誌記者に漏らした「僕には運がなくなった」若き日の本音【秘蔵写真多数】

スポーツ 投稿日:2023.09.27 21:10FLASH編集部

引退発表の小野伸二、本誌記者に漏らした「僕には運がなくなった」若き日の本音【秘蔵写真多数】

2000年にインタビューした小野伸二

 

 サッカー元日本代表で、J1・北海道コンサドーレ札幌の小野伸二が、9月27日、今季限りでの現役引退を発表した。

 

 この日は小野の44歳の誕生日。自身のInstagramに、

 

《皆さまに、ご報告があります。サッカーと出会い39年間もの間、僕の相棒として戦ってくれた“足”がそろそろ休ませてくれと言うので、今シーズンを最後に、プロサッカー選手としての歩みを止めることを決めました。まだシーズン残り数試合ありますが、僕も試合に少しでも関われるように変わらず良い準備をしていきます。最後まで応援よろしくお願いします》

 

 

 とつづり、ファンに引退を報告した。

 

 小野は清水商業高校(2013年閉校、再編で静岡市立清水桜が丘高校が開校)を卒業後、1998年に浦和レッズに入団。

 

 1979年生まれの「黄金世代」の “顔” でもあり、1998年のフランスワールドカップでは、日本選手のワールドカップ出場では史上最年少の18歳272日でジャマイカ戦に途中出場した。

 

 その後も、フル代表、五輪代表ともに活躍し、つねに “天才” と評されてきたが、その裏ではケガとの戦いが続いていた。

 

 1999年、シドニーオリンピックのアジア1次予選のフィリピン戦で、左靭帯断裂の大ケガを負う。

 

 2000年12月に本誌がインタビューした際には、

 

「自分が想像してなかったほど、ケガを繰り返してしまって……。やっとコンディションがよくなってきたなと思うと、またケガをしてしまうという感じだった。(浦和が)J2に落ちたときから、僕には運がなくなったんじゃないかと思う」

 

 と、ふだんならけっして聞けない本音を漏らしたこともあった。

 

 ケガ、手術、リハビリ――。そんな生活を繰り返したときには「ボールに触れないほど、つらいことはないな。機械だけの筋肉トレーニングはきつくて、トイレに駆け込んで吐いてしまったこともある」と苦しい胸の内を吐露。

 

 その後、幾度となくケガに見舞われてきた小野だが、現役生活を重ねていくことで、弱音を吐くこともケガに苦しむ姿を見せることもなくなっていった。つねに前を向くポジティブな姿に、感銘を受けたファンは多い。

 

 そして、誰からも好かれる人であった。

 

 稲本潤一や高原直泰、小笠原満男など「黄金世代」の仲間たちのなかでは、自然とリーダーシップを発揮し、つねにチームの中心だった。それは彼が “天才” だったからではない。彼の人間性に惹かれたからだろう。

 

 ファンに対しても変わらない。浦和レッズ時代は、練習後にサインを求める子供たちが長い列を作った。小野は疲れていても、嫌な顔ひとつせず、いつも全員にサインをしてから帰っていく。ときには、目の前で足に吸いつくようなリフティングを披露。子どもたちはその “神技” に目を丸くして見入っていた。

 

 そうした姿勢は、オランダ強豪のフェイエノールトに移籍しても変わらなかった。レプリカを着た小さな子供から日なたぼっこをしながら練習を見つめる老人まで、小野は多くのファンに囲まれていた。

 

 小野は、本誌記者がオランダで取材した、2004年の雑誌『VS』(光文社刊)のインタビューで、こんな話をしている。

 

「僕って一途な感じなんですよ、何に対しても(笑)。うーん、多分、そうだと思います。だからそのチームでいい結果を残して、みんなに愛されてというのを、強く望むタイプなんですよ」

 

 小野が望んだとおり、日本だけではなく、海外で在籍したオランダ、ドイツ、オーストラリアのファンからも愛された。それは彼の人間性と、しなやかな足首から繰り出される “エンジェルパス” で、観る側が楽しめるサッカーを実践してきたからだろう。

 

 小野はオランダでこんな話をしていた。

 

「プロじゃなくなっても、サッカーはやれるだけずっとやりたい。草サッカーでも何でも、体が動く間はずっと。おじいちゃんになってもボールが蹴れるならやっていたいなぁ……」

 

 12月3日の今季最終戦で小野はプロ生活に幕を下ろす。だが、彼のサッカー人生はまだまだ続いていくと信じたい。

 

写真・桑原靖

( SmartFLASH )

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