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【ドラ1ルーキーの “野球小僧” 時代】度会隆輝は母親手作りのバッティングゲージで練習、前田悠伍は小2からきれいな投球フォーム/写真多数

スポーツ 投稿日:2023.10.30 06:00FLASH編集部

【ドラ1ルーキーの “野球小僧” 時代】度会隆輝は母親手作りのバッティングゲージで練習、前田悠伍は小2からきれいな投球フォーム/写真多数

DeNA・度会隆輝(21・ENEOS)写真・共同通信

 

 10月27日、プロ野球ドラフト会議が開催された。ENEOSの度会隆輝選手が3球団から1位で指名され、抽せんの結果、DeNAが交渉権を獲得。また、大阪桐蔭の前田悠伍投手は、2回めの1位指名で3球団から指名され、ソフトバンクが交渉権を獲得した。

 

 今年のドラ1は、いったいどんな「神童」だったのか。ドラ1ルーキーの “野球小僧” 時代を、総力取材でお伝えする。

 

■DeNA・度会隆輝(21・ENEOS)
サラブレッドの秘密兵器は母手作りのバッティングゲージ

 

 

「小4の初めごろ入団しました。お父さんが元ヤクルトの博文さんで『あの度会の息子?』と当初から話題でしたが、努力もすごかった。練習が終わって家に帰ると、母の祥子さん手作りのバッティングゲージで毎晩打撃練習していました。

 

 うちのOBで、3年先輩に清宮幸太郎がいますが、みんなが彼と比較するほどの打撃センスでした。でも高3のときに指名漏れ。相当悔しかったと思いますが、その年末にグラウンドに来て『3年後には絶対プロに入ります!』と宣言していました」(「東京北砂リトルリーグ」久保喜一郎監督)

 

 3球団1位指名の裏には、天性の才能に甘んじない、地道な努力があった。

 

■日本ハム・細野晴希(21・東洋大)
週末のルーティンは近所で野球観戦

 

「勉強熱心で、彼の自宅近くに社会人野球のグラウンドがあったんですが、しょっちゅう見に行ってました。そこのチームのマスコット的な存在で、名前を覚えられてかわいがられてました。

 

 律儀なコで、高校、大学入学の節目には、必ず『受かりました!』とグラウンドに挨拶に来ましたね。小6ではキャプテンを務めましたが、“特別な存在” ではありませんでした。ドラ1で指名されるなんて、本当に驚きです」(「交友ビクトリーズ」元監督の加藤義孝さん)

 

 “野球小僧” の情熱が、彼をドラ1に導いたのだ。

 

■ソフトバンク・前田悠伍(18・大阪桐蔭高)
選抜合格の彼に仲間が開いた「お祝い会」

 

「小2の入団時から、同級生より頭ひとつぶん大きく、きれいな投球フォームは、何も教えてないのに初めから完成されていました。打つ、守るは他の生徒とあまり変わりませんでしたが、投げる力だけは入団時からすごかったです。悠伍くんら低学年の子は、高学年とは別グラウンドで練習していましたが、その別グラウンドから遠目に見ても1人だけきれいなフォームで目立っていましたね。

 

 性格は負けず嫌い。たまに打たれたりしたときは、泣きはしないものの目に涙を溜めて悔しがっていたこともありました。でも、普段はチームメイトから慕われる人気者。前田が『オリックスジュニア』の選抜に合格した際、子供らがケーキを買ってお祝いの会を開いたんです。当時から『僕は大阪桐蔭に入って、プロになる』と宣言していました。まさに有言実行です」(「高月野球スポーツ少年団」代表・田渡義治さん)

 

■巨人・西舘勇輝(21・中大)
末っ子が秘めた “闘争心”

 

「3兄弟の末っ子で、兄2人は、ちびっ子マラソンで優勝するなど運動神経がよかった。その兄に『負けたくない!』という気持ちが強く、練習態度にも表われていましたね。投手になったのは小6から。ひたすら “まっすぐ” を投げ込んでいました。

 

 最後の県大会、ベスト4入りを決めた試合で、彼がサヨナラヒットを打ったのですが、次戦の準決勝では、サヨナラヒットを打たれて負けたんです。そんな彼がドラ1だなんて、言葉になりません……」(「一戸野球スポーツ少年団」小森正三監督)

 

■広島・常廣羽也斗(22・青山学院大)
中学では「3番手」頭を生かし進学校へ

 

「“神童エピソード” は全然ないんです。小学生のころは体格も技術もそれなり。彼がほかのコより抜きんでていたのは、投球フォームです。理にかなったきれいなフォームで、対戦相手の監督からもよく褒められていました。これまで何人もの子供を見てきましたが、彼がいちばんですよ」(「豊府少年野球団」高木裕幸総監督)

 

「いい球を投げていましたが、スタミナがなかった。うちでは3番手の投手で、毎試合3~4回になると、握力が落ち、痛打を浴びていました。進学した高校は進学校でしたから、頭はよかったと思います。自分の中学時代の弱点を自覚して、高校でスタミナを培おうという長期戦略があったんだと思います」(「大分リトルシニア」木本繁隆監督)

 

「チームでは人気者でした。遠征で一泊した時には、チームメイトのピッチングやバッティングのモノマネをして、みんなを笑わせていたんです。さらに試合中も、ピンチの時に野手がみんなマウンドに集まることがあるじゃないですか。緊迫したシーンですが、突然みながマウンドで笑い出すことがありました。あとで聞いたら、いつも羽也斗が最後にボソッと面白いことを言うそうなんです。基本は真面目で口数が少ないんですが、いざとなったらみんなを笑わせてくれるひょうきんな面もあるんです」(「大分リトルシニア」小野智宏コーチ)

 

■西武・武内夏暉(22・國學院大)
小中では「投げられない」

 

「高身長で左投げ。投手にしたら絶対大成すると思いましたが、本人は『肩が痛い』と言い、小6時にはまともに投球できませんでした。それで、外野や一塁を守らせていました。中学も同じ感じだったそうで、本格的に投手を始めたのはおそらく高校時代。

 

 ただ、彼は練習で絶対に手を抜かなかった。素振りを30回やるように言っても、普通は疲れてきたら休んで遊び始めるというのが、小学生のよくあるパターンですが、武内だけは絶対にそうしたことはなかった。努力の大切さが、今回のドラフトでよくわかりましたよ。いつかは、侍ジャパンに入れるようなピッチャーになってほしいですね」(「東筑ファイターズ」中川正紀監督)

 

 大きなビハインドを逆転させたのは、地道な努力だった。

 

■阪神・下村海翔(21・青山学院大)
「右で打ちたい!」小学生で見せた “自我”

 

「一度『左打ちのほうが有利だ』と、右打ちから転向するように指導したんです。ところが後日、ご両親から『息子が右で打ちたがってます』と連絡がありまして(笑)。小学生なんて、基本的に指導者の言うとおりにするものですが、こんなことを言うのは下村さんだけでした」(「甲武ライオンズ」渡部秀治代表)

 

「向上心が強く『より強いところでプレーしたい』と、中2でうちに移籍してきました。それに弱気になるようなことが全然なかったです。下村くんと同レベル位の投手がもう一人いたんですが、その子が当時『ピンチになっても、うしろに下村がいるから安心して投げられる』と言ってましたね。

 

 後は、とにかくコントロールがいい。フォアボールなんてほとんど出したことなかったんじゃないですかね。球速も、中学で130~135キロくらい出ていたと思います。

 

 今でもお正月に帰省した下村くんと話すと、いつも手首の使い方などマニアックな投球の技術論になってしまう(笑)。それくらい野球のことで頭がいっぱいみたいです」(「宝塚ボーイズ」当時の監督、奥村幸治さん)

( 週刊FLASH 2023年11月14日号 )

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