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曙太郎さん死去“寝ているよう”静かに息を引き取り…30年交友の元力士レスラーが見た「無礼講OK」角界らしからぬ横綱の素顔

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2024.04.13 06:00 最終更新日:2024.04.13 06:00

曙太郎さん死去“寝ているよう”静かに息を引き取り…30年交友の元力士レスラーが見た「無礼講OK」角界らしからぬ横綱の素顔

病床の曙太郎さん(右)を見舞いに訪れた際の浜亮太

 

 2024年4月11日、大相撲の元横綱曙太郎さんが死去していたことが明らかになった。死因は心不全、54歳の若さだった。

 

「横綱とは8年ぐらいずっと一緒にいたんですけど、力士時代も合わせたら30年くらいのつき合いなんです。それだけ一緒にいれば、普通はだんだん体の大きさにも慣れてくるもんですけど、いつも会うたびに『でけえなぁ』と思っていました」

 

 こう振り返るのは、プロレスラーの浜亮太(44)だ。自身も200キロ超を誇る日本最重量級のプロレスラー。

 

 

 浜のルーツも、曙さんと同じ大相撲にある。1994年に八角部屋に15歳で入門し、部屋は違えど東関部屋の出世頭だった曙さんとは同じ「高砂一門」として親交があった。

 

 浜さんの力士時代の最高位は「幕下6枚目」。しかし、当時すでに横綱だった曙さんからはとても可愛がられたという。

 

「曙さんが現役バリバリのころですし、僕らなんかが気軽に口を聞いたら本当はダメなんですけど、横綱(曙さん)はまわりから気を遣われるのがすごく嫌いな人で。

 

 僕からしたら大先輩であり恩人なんですけど、飲み会になれば“友達”でした。横綱との飲み会は、いつも無礼講なんです。横綱も『飲み会では絶対に気を遣うな!』って言ってましたからね。

 

 だから、僕らも公民館とかにあるようなスリッパを懐ろに忍ばせておいて、横綱がボケたとき、みんなで頭を引っぱたいてました(笑)。横綱は『痛えなー!』とか言いながら喜んでいましたね。

 

 飲みっぷりも豪快でしたね。自分が『第64代横綱』だからと、1リットル入る大ジョッキでビールを64杯飲んだこともあったんですよ」(浜・以下同)

 

 つい先日も“後輩いじめ”で大きな批判を浴びた角界だが、しきたりが厳しい番付至上主義の世界とは思えないエピソードからは、曙さんの懐ろの深さが窺える。

 

 その後2001年に角界を引退し、総合格闘家を経て、2005年からプロレスラーとして活動を始めた曙さん。その後を追うように、浜も2008年にプロレスラーに転向。デビュー戦の相手が曙さんだった。

 

「リングの上では厳しかったですよ。元力士同士は『なあなあ』だと思われるのが嫌だったみたいで、特に僕への当たりはキツかった(笑)」

 

 順風満帆に見えた曙さんのレスラー人生が一変したのは2017年4月。

 

 試合後に体調の異変を訴えて救急搬送された。その際、37分間の心停止に見舞われたため重度の記憶障害が残ったこともあり、長らく療養生活を送ることとなった。

 

 浜は、そんな曙さんのお見舞いに駆けつけたという。

 

「コロナ禍の前に2回行けました。記憶障害と聞いていたので、『誰ですか?』と言われるかと覚悟していましたが、そんなことはなかった。2人でやらかしたよけいなことまで、めちゃくちゃ覚えていたくらいです(苦笑)。

 

 ただその後コロナ禍で、病院自体が面会禁止になってしまって……。横綱は糖尿病を患っていたし、心停止も経験していたから免疫があまり強くない。ちょっとでも体調を崩したら大変なことになるらしく、本当に会えなかったんですよね。

 

 横綱の奥さんに、会いたいと伝えていました。そんな僕に気を遣って、ビデオ電話を繋いでくださったことがありました。それが、横綱と最後の会話となってしまいました。

 

 画面越しだったので、“無礼講”が好きだった横綱に向かって『おう、曙、元気か?』って呼びかけたら『てめー殺すぞ!』って言いながらも喜んでくれました」

 

 療養生活は続いたが、曙さんは平穏な日々を過ごす時期も長かったようだ。しかし、別れは急にきてしまったという。

 

「去年からだいぶん具合が悪くなったという話を耳にしていたので、覚悟はしていたんですけど……。亡くなった後で奥さんに聞いたら、息を引き取られたときは急だったと。

 

 当日も亡くなる直前までは元気だったみたいで、『寝ているのかな』と思ったら心臓が止まっていたそうです」

 

 曙さんの早すぎる死を悲しむ“盟友”がもう一人いる。

 

 浜と同じ「全日本プロレス」のリングアナウンサーを務め、曙さんがレギュラー参戦していた時代をよく知る木原文人には、お見舞いに行けなかった理由があるという。

 

「横綱の弱った姿を見たくなかったんです。僕の脳裏には、元気で笑っている横綱の顔しか浮かんでこないんですよ。

 

 じつは横綱は繊細で、周囲の人間に気を配る人なんです。仕事が大変そうな会場だったら、リングスタッフにもねぎらいの声をかけてくれる。

 

 天下の大横綱なのに、若手レスラーから末端のスタッフまで気にかけてくれる人でした。だから、団体のみんなから愛されていましたね。

 

 大きいお風呂が好きなんで、地方巡業に行くと『木原さん、近くに銭湯ないの?』と、一緒に銭湯に行ったりもしました。地方の銭湯で、ひとっ風呂浴びている横綱と遭遇した人たちはビックリしてましたよ。

 

 元気なうちにもう一度会いたかったですね……。安らかにお休みください」

 

 浜さんも、曙さんの飲み会での元気な姿が忘れられないという。

 

「あんなに楽しい飲み会はなかったし、いちばん上の人が率先してバカやってくれるから、横綱の飲み会はすごく盛り上がるんですよ。

 

 僕にとってはある意味、兄貴みたいな存在でもあったし、本当にいい人だった。大好きでした。いなくなってしまって、やっぱり寂しいですね」

 

 紆余曲折の末に辿り着いたプロレスの世界で、全身全霊を捧げて闘志を燃やした曙さん。「リングにもう一回上がりたい」という願いはかなわなかった。

 

 ファンの心の中では「追悼の10カウント・ゴング」が鳴らされているーー。

( SmartFLASH )

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