「ぶつかり合うこととか、ケンカすることも多かったんですけど、父がいなかったらここにはいない。いちばん感謝したい存在です」
8月9日(日本時間)、パリ五輪レスリング女子53キロ級で金メダルを獲得した藤波朱理。優勝が決まり、飛び上がって抱きついたのは、コーチでセコンドをつとめる父・俊一さんだった。
インタビューでは「オリンピック最高!レスリング最高!」と喜びを爆発させた後、二人三脚で戦ってきた父に対する感謝の言葉を口にした。
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父が率いるクラブで4歳からレスリングを始めた朱里。父はかつて本誌の取材に対し「(娘を)五輪選手に育てようという思いは特になかった」と語っている。
「私のクラブで、遊びの延長という感じで4歳から始めました。力が弱かったので、最初はそこまで強くはなかった」
ただ、当時から「とにかく負けず嫌い」だったという。
「レスリングでもトランプなどでも、自分が勝つまで何度も挑んでくるんです(笑)。当時は、女子の間でプリキュアが流行っていたそうですが、そういうのにはいっさい興味がなかったみたいです。人形とかを買ってあげても、喜ばなかったですね(笑)」
父・俊一さんも国体2連覇の実績を持ち、1988年ソウル五輪では日本代表の最終選考に残るほどのレスリング選手だった。現役引退後は地元の三重に戻り、高校のレスリングのコーチに。それと並行して自身のクラブも経営し、全国レベルの選手を輩出してきた。
だが、朱里が日本体育大学に進学することが決まり、高校の教師を退職。娘のコーチ業に専念する決断をした。日体大のコーチにはなったものの、収入は激減したという。それでも娘の夢、自分の夢の実現を信じ続けた。
「贔屓でなしに、彼女が負ける気はまったくしないので、連勝記録はまだまだ伸びそうですね」(父・俊一さん)
五輪前、父が語っていたように、圧倒的な強さを見せつけた朱里。中学2年時から続く公式戦連勝記録は137まで伸びた。
( SmartFLASH )