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岡崎慎司、目指すは日本代表監督「チームマネジメントは子育てに近いかな」スポンサー営業も自ら率先の大奮闘
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2024.12.21 06:00 最終更新日:2024.12.21 06:00
「選手と指導者(の仕事)はまったく違いますね。選手なら、自分の意識次第で困難な状況もなんとかなっても、チームマネジメントは思いどおりにいかない。
そういう意味では、僕にも10代半ばの息子が2人いますが、子育てに近いというか……。ただ、チームには20人以上の選手がいる。試合に使われない選手からは不満も出るし、マネジメントの難しさを痛感しています」
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そう話すのは、サッカー日本代表として釜本邦茂、カズ(三浦知良)に次ぐ歴代3位の50得点を挙げ、昨季限りで現役引退した岡崎慎司(38)だ。
将来的に目指すのは「日本代表監督」とし、2024年8月に自身が設立に関わったドイツ6部リーグのFCバサラマインツの監督に就任した。
日本代表として3度W杯に出場し、レスター時代の2015-2016シーズンにはプレミアリーグ優勝を経験したほか、ドイツやスペインなど欧州トップリーグでも活躍した岡崎の実績を考えれば、解説者やタレント、育成年代の指導者など、セカンドキャリアにはさまざまな選択肢があったはず。なぜアマチュアクラブでスタートを切ったのか。
「僕は指導者になりたいというより、監督をやりたかったんです。そしたら、ちょうどバサラマインツの監督の枠が空いていたので。それにマインツの監督なら、人生を一からやり直すイメージで僕らしいかなって。スポンサー営業も僕が自ら行きますし、やらなきゃいけないことが多いぶん、学べることもあります」
2014年に岡崎が高校時代の仲間と立ち上げたバサラマインツはドイツ11部からスタートし、そこから5年連続での昇格で、6部まで来た。だが、そこから足踏みが続き、今季もここまで19試合で9勝4分け6敗、17チーム中7位に位置する。
「監督の難しさ? 全部っすね(笑)。ここでプレーしている選手はプロになれず、一度は諦めた経験がありますし、『下手なんだから努力しろ!』と言ったところで簡単には響かない。でも、そういう選手の意識をいかに変えられるかが試されている。変えられなければ僕の負けですから」
アマチュアレベルであれば、岡崎が実際にプレーして示したほうが早い気もするが……。
「いや、(引退の原因になった)膝が痛くて(笑)。でもプレーできちゃったら、いつまでたっても指導が上達しないので、膝が動かなくて逆によかったと思っています」
ドイツ6部から日本代表監督を目指すのは、一見無謀にも思える。だが、現役時代「ダイビングヘッド」を代名詞に泥臭いプレーも厭わず結果を残すことで、自らのキャリアを切り開いてきた岡崎らしいといえるかもしれない。
「代表監督を目指すなら “正規のルート” じゃないかもしれないけど、僕は現役時代からスムーズなキャリアを歩んできたわけじゃないですから。レスターにいたころ、感慨深い出来事がありました。年齢は僕のひとつ上ですが、同世代にウェイン・ルーニー(マンチェスター・ユナイテッド)というスター選手がいました。
彼が17歳で、イングランド代表でバリバリ活躍し始めたころ、僕は高校に入ったばかりでテレビで見ていました。ただ、それから十数年過ぎたころ、プレミアリーグのピッチでマッチアップし、彼からボールを奪ったんです。
スタート地点は違っても、人生ってその後の努力でどうなるかはわからない。今はドイツ6部でも、ここから5部4部と上がっていっておもしろい監督がいると思ってもらえる可能性はゼロじゃない」
岡崎は日本代表監督を目指す理由について、当時アルベルト・ザッケローニ監督のもとで史上最強といわれながら1勝もできずリーグ敗退に終わった「2014年ブラジルW杯の悔しさを晴らしたい」からと言う。そんな岡崎は、現在の日本代表をどう見ているのか。
森保ジャパンはW杯アジア最終予選で、ここまで6試合で5勝1分け、2位に勝ち点9差をつけるなど圧倒的な強さを見せている。
「僕らのころも海外でやっている選手はいましたが、誰かが怪我をした場合、誰がその穴を埋めるのかという問題があったし、(背の高さやフィジカルの強さが求められる)CBなら(吉田)麻也を欠けば、ほかに海外でやっている選手はいなかった。
でも今は、CBも欧州でプレーしている選手は何人もいるし、ドリブルで縦に仕掛けられる三笘薫(ブライトン)と伊東純也(スタッド・ランス)の代わりはいないといっても、久保建英(ソシエダ)や堂安律(フライブルク)などタイプは違えど代わりができる選手はいる。海外基準の選手が増えたことが、強さのいちばんの理由なのは間違いない」
さらに、若いころから海外に出てトゥウェンテ(オランダ)→シント・トロイデン(ベルギー)、LASK(オーストリア)→スタッド・ランス(フランス)と、キャリアを重ねながら日本代表に定着した中村敬斗のような選手が出てきたこともおもしろいと言う。
「10代で海外に出て、失敗しても日本に戻らず欧州で這い上がってきたキャリアは単純にカッコいいし、僕が10代だったら絶対無理。こういう選手が出てくると、日本サッカーの歴史も変わると思う」
また、日本は長くW杯でベスト16の壁に阻まれてきた。だが、岡崎はその壁を越えるだけの力はすでにあるとした。
「実力的にはもう十分だし、あとは運という要素もあるので……。ブラジルW杯のときは結局、実力不足。たとえば、初戦のコートジボワール戦で先制しながら(相手のエース)ドログバが途中出場したら、流れを持っていかれて逆転されてしまった。
結局、交代で流れを変えられる選手が日本にはいなかったし、自分たちのサッカーが通用しなかったときの次のプランもなかった。そこは、交代選手も豊富な今の代表との大きな違いです」
取材に訪れたその日、18時から始まった練習を終えると、ピッチ横に隣接するパブでビールを口にしながら「大変なこともあるが、毎日充実しているし楽しんでいる」と、現役時代とは違った一面を見せた岡崎。選手として貪欲にゴールという結果を追い求めてきた熱血漢が、指導者としてどんな道を歩むのか、興味は尽きない。
おかざきしんじ
1986年4月16日生まれ 兵庫県出身 滝川第二高を経て2005年、清水エスパルスに入団。2011年ブンデスリーガ・シュツットガルトに移籍し、2013年からマインツ、2015年からプレミアリーグ、レスター・シティでプレー。その後、複数のクラブを経て、シントトロイデン所属の2025年5月に引退試合をおこなった
写真・渡辺航滋 取材&文・栗原正夫