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照ノ富士「引退」ケガ・糖尿病で「死ぬんだろうな」…大関から序二段まで陥落後の “返り咲き” にファンから集まるねぎらい
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2025.01.17 17:54 最終更新日:2025.01.17 17:54
1月17日、日本相撲協会が第73代横綱・照ノ富士の引退を発表した。
幕内優勝は通算10回。2021年九州場所(11月場所)以降は、一人横綱として、大相撲を引っ張ってきた照ノ富士の引退に、世間からねぎらいの声があがっている。
引退が発表されると、Xでも《ああああ、この日が来てしまった》《痛みに耐えてよく頑張った》《満身創痍で一人横綱の地位を守り続けた記憶に残る素晴らしい横綱だった》と、ファンの嘆きが聞かれている。
「照ノ富士はモンゴル出身の33歳で、伊勢ケ浜部屋に所属しています。2011年5月の技量審査場所で初土俵を踏みました。その後、2015年の夏場所で大関に昇進。2021年、名古屋場所後に横綱昇進を果たしています。横綱の引退は、2021年9月の白鵬以来4年ぶりとなります」(相撲担当記者)
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発表と同日、東京・両国国技館で引退会見をおこなった照ノ富士。冒頭、周囲の人々への感謝の気持ちを述べたうえで「できる限りのことをやってきた」「思うように相撲ができなくなり、これ以上、中途半端な気持ちと体で土俵に上がれない」と引退理由を説明している。
身長192cm、体重176kgの巨体を武器に、どっしりと構えた力強い相撲で、多くのファンを沸かせてきた照ノ富士。番付の頂点に立つまでの道のりは、けっして楽ではなかった。前出・相撲担当記者がこう話す。
「最初の大関まで、いわゆる “スピード昇進” だった照ノ富士ですが、その後は、両膝のケガに加え、糖尿病に苦しみました。思うように稽古ができない時期が続き、2017年の名古屋場所から連続休場。大関から陥落し、いちばん低いときは番付を序二段まで下げました」
本誌は照ノ富士が「関取」である十両の番付に返り咲いた2020年1月にインタビューをおこなっていた。
そのなかで、当時の重い糖尿病について「体は限界まできていました。こんなひどい状態が続いたら、『何年か後には死ぬんだろうな』と思ったくらい、苦しみました」と振り返っていた。
この時点で膝の手術は3度おこなっていた。何度も師匠の伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)に “引退” を直訴したという。
「親方は、いちばんキツかった大関陥落のころも、『まだ関取なんだから、やりながら病気を治せ』と。それに番付が落ちても、親方、おかみさんをはじめ、応援してくれる人がいる」(照ノ富士)
周囲の支えがあったからこそ、番付を取り戻せたと明かしていた。
その精神力の強さに心を打たれるファンが多くいたが、33歳を迎えたばかりの今場所で、照ノ富士は引き際を決意した。
「紆余曲折あった相撲人生。彼の姿に勇気をもらったファンも多いはず。日本国籍は取得済みで、横綱として活躍した彼は、ひとまず現役名の『照ノ富士親方』として、後進の指導に当たります。
体をいたわりながらも、その魅力である精神力を後継してほしいと願うばかりです」(前出・相撲記者)
人一倍苦しんだ経験が、指導でも生きるはずだ。
( SmartFLASH )