スポーツ
つば九郎担当者死去、関係者が語る“人気の裏側”…グッズ売り上げで山田、青木を上回った過去も

東京ヤクルトスワローズの球団マスコット・つば九郎(写真・共同通信)
2月19日、プロ野球・東京ヤクルトスワローズは、球団マスコット「つば九郎」の担当者が亡くなったことを発表した。1994年のデビュー以来、ヤクルトファンのみならず多くの野球ファンから愛されてきた人気者の訃報に、続々と哀悼の意が寄せられている。
1994年にデビューし、30年以上にわたり、球団の垣根を超えて広く愛されてきたつば九郎。ユーモアと毒舌が効いた「フリップ芸」や「空中くるりんぱ」が人気を呼び、選手や審判、他球団マスコットとのやり取りで観客を楽しませてきた。
【関連記事:つば九郎が「元チームメイト」ロッテ・吉井監督の秘密を交流戦で暴露「とびらをけってあなをあけました」】
つば九郎の担当者を知るスポーツ記者は、涙を浮かべながら述懐する。
「担当者の方は気さくで我々ともよく話しました。そこでも感じたんですが、非常に頭が良く、回転も速い。だからこそ“契約更改”の場では即興で、あそこまでのコメントをかけるのでしょう。あの方は体が大きかっただけに、ぬいぐるみに入るのはきつかったと思いますね。特に夏場はね。神宮球場の記者席近くにつば九郎の控え室のようなスペースがあり、ひと仕事を終えてそこに戻ってきたとき、頭の部分を取って休んでいるんですが、とても辛そうにしていました。それを見たのも一度や二度ではありませんでしたから。本当に夏場などはかなりの重労働だったでしょう」
シーズン中のみならず、オフシーズンも人気者であり続けたという。
「とにかく人気はすごかった。とくに子どもたちや女性からのね。ディナーショーを告知すれば、すぐにチケットは売り切れてました。最近では中日のドアラとコンビを組んでいろんなイベントに呼ばれて大盛況。年末年始は全国五大都市を巡り、大型イベントとなっていました」(同前)
年中人気者であったつば九郎。その影響力はグッズにもあらわれているというのだ。
「トリプルスリーを達成した山田哲人内野手や2018年にメジャーから復帰した青木宣親外野手などの関連グッズは相当売れたといいます。ところが、いつも最後に売上で抜き返すのがつば九郎なんです。ヤクルトのマスコットといえばつば九郎だと多くのファンに認知されていて、とくにちびっ子ファンからの支持は絶大なんです。人気ナンバーワンの座は、長年死守しているといいます。ただし、関連グッズの種類が選手より圧倒的に多いという利点はありますけどね」(ヤクルト担当記者)
プロ野球ファンの心には、いつまでも残り続けるだろう。