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長嶋茂雄さん、50年通った理髪店に「遺髪」が残されていた! 店長が明かした「ゲン担ぎ散髪でホームラン」

2009年、パーティに参加した長嶋茂雄さん
「(6月3日の)朝7時過ぎのニュースで、長嶋さんが亡くなったことを知りました。あーって、思わず声が出ました。ついに長嶋さんが逝っちゃったんだなって。ショックが大きすぎて。50年も長嶋さんの髪を切ってきましたからね」
そう語るのは、東京・大田区の理髪店「文化理髪室」の店主・吉田博さん(78)だ。同店は、弟の明さん(75)と2人で現在も営業を続けており、長嶋茂雄さんの散髪は、長年明さんが担ってきたという。冒頭は博さんの言葉だ。
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「我々は刃物を持って顔剃りもやるでしょ。長嶋さんが50年も通い続けてくださったことは、どれほど信頼してくれていたことか。たまにはいびきをかいて寝ることもあった。我々の前だと安心し切っていたのだと思います」(博さん)
もともとは、JR渋谷駅前の東急文化会館内に店舗を構えていた。顧客だった野球解説者の一人が、長嶋氏に同店を紹介したのが縁だったという。
「髪を切るのは月に1度でした。現役時代はスポーツ刈りでしたから、五分刈りだったり三分刈りだったり。おしゃれでしたよ。髪を洗うだけで週に2、3回来られることもありました。だいたい10分ぐらい時間をかけてゆっくり洗う。それが気持ちよかったのだろうと思います。
スランプのときでも、髪を洗うとヒットやホームランを打った。ゲン担ぎだったのかもしれません。東京ドームができる前は後楽園球場でしたが、雨で試合が中止になったときは、ユニフォームを着たままいらっしゃることもありましたね。いつも『これから行くよ』と電話がありましたから、すぐに準備をしていました」(博さん)
2004年に脳梗塞で倒れた長嶋さんは、明さんを病院に呼んだという。
「倒れた3日後に病室で髪を切ってくれって頼まれました。驚きましたよ、大丈夫なのかと。長嶋さんは車いすにうずくまるように座っていた。病室で髪をちょっとだけ切って、シャンプーもしました。髪を洗ってほしかったのでしょうね。私は長嶋さんの姿を見て、どうか元気になってほしいと思いました。店に戻ってから泣きましたね」(明さん)
その後も長嶋氏はリハビリを兼ねて、店に通い続けた。
「2階の店内に上がる階段を『エッサ、エッサ』と声を出して上がっていました。その後、お店に来れなくなると、出張で自宅まで髪を切りに行っていました。リビングの床に新聞紙を敷いて、前面に鏡を置いてね。
ただ、自宅だとシャンプーをしてあげることができませんでした。最後に自宅に伺ったのは2年前でした。以降は施設で髪を切ってもらっていたようです。できたら最後に髪を切って、シャンプーもしてあげたかったですね」(明さん)
店内には「来るたびに書いてくれた」という色紙が何枚も置かれてある。脳梗塞を患ってからは、左手で書いていたという。取材中、博さんがおもむろにビニール袋を取り出した。どうやら、長嶋さんとの思い入れのあるものだとか。
「これ、長嶋さんの髪の毛なんです。1998年、投手のガルペスが審判員にボールを投げつけて無期限の出場停止処分を受けたとき、巨人の監督だった長嶋さんが店に来て、『けじめをつけるために丸坊主にするんだ。どれぐらいにすればいい』と聞いてきたんです。
そのときに切った髪を保存していました。長嶋さんの髪は少し縮れ髪。白髪交じりの髪は少し硬かったです。これが “遺髪” になっちゃいましたね。
最後に、長嶋さんには『ありがとうございました』と伝えたいです。店は長嶋さんとの関係があったからここまで続いてきたと言っていい。かけがえのない長嶋さんがいなくなって、しばらくは放心状態です」(博さん)
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