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「息子を球場に置き去り」「他人の焼き鳥食べまくり」王貞治氏も思わず不思議がる長嶋茂雄さん“何でも許された”伝説10

2009年、パーティに参加した長嶋茂雄さん
「長嶋さんは特別な存在でした。プレーだけでなく、人となりというか、ユーモラスな部分があったし、明るいし。長嶋さんなら何でも許される、不思議な存在でした」
6月3日、読売巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄さんの死去を受け、巨人時代に「ON」として一時代を築いた、ソフトバンクの王貞治球団会長が東京都内で取材に応じた。憔悴しきった表情を浮かべ、ときに奮い立たせるかのように薄い笑みを浮かべながら、冒頭のようなコメントを口にした。
なかでも「長嶋さんなら許される」については、納得との思いを持つファンは多いのではないか。世間の常識とかけ離れた行動をしても「長嶋で~す」のひとことで許されてしまうキャラクターの持ち主だった。
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今回「長嶋さんだから許された」できごとを10個、振り返ってみた。
①敬遠は嫌いのはずじゃ?
1968年5月11日の対中日戦。巨人が二死二塁のチャンスを迎えると、中日ベンチは、長嶋さんを敬遠する作戦に出た。すると、長嶋さんはバットを持たずに打席へ入り、抗議。そして、試合後には「敬遠は嫌いでした。お客さんは敬遠を見に来ているんじゃない、バットを振るのを見に来ているんだ」と、その真意を語った。それから約30年後。2回めの監督となって迎えた1999年10月5日の対ヤクルト戦。シーズン終盤で松井秀喜と本塁打王を争っていたヤクルトのペタジーニに対し、長嶋監督は敬遠を指示。マウンド上で上原浩治は涙を流し、マウンドを蹴り上げ、悔しがった。勝つためには過去の発言など、おかまいなし!
②集中してしまえば息子も眼中なし
1973年の試合に息子・一茂をともなって、当時の後楽園球場へ向かった長嶋さん。一茂をスタンドに座らせて、自身は試合に没頭。試合を終え、帰宅すると、妻・亜希子さんに「一茂は?」と聞かれた。そこで、やっと息子を球場に置き忘れてきたことを思い出した。一茂は審判室に保護されていたのでよかったが、ミスターの集中力は驚異的だ。
③車放置事件
東北遠征のとき、愛車を上野駅前に横づけして荷物をおろした長嶋さん。そして、車の鍵を抜かずその場を立ち去ろうとした長嶋さんに対して、車に同乗していた記者が「無断駐車で違反になりますよ」と注意したという。すると長嶋さんは「大丈夫。あとから届けてくれますから」と返事をすると、列車に乗り込んでしまった。後日、警察から「あなたの車が上野駅前に放置されています。至急、取りに来てください」と電話があったそう。
④バッターボックスでの盗視
バッターボックスに入り、キャッチャーのミットの位置などを盗み見ることは禁止されている。しかし、長嶋さんは必ずといっていいほどチラチラとミットの位置を見ていた。これがテレビの映像にしっかり収められるほど露骨なものだったが、なぜか主審が注意するところを見たことがない。
⑤バスタブは泡だらけ
風呂場では、先に体を洗ってから浴層に入るというのが常識。もちろん、長嶋さんも持ち合わせてはいたが、問題は浴槽に入るとき。体中が泡だらけでも平気で入るので、浴槽は泡だらけに。これは監督になっても変わらなかったという。
⑥スイカは最高糖度の一点狙い
監督になって変わらなかったことをもうひとつ。巨人ともなれば、クラブハウスなどに最高級のフルーツが贈られてくるそうだが、長嶋さんが目がなかったのがスイカ。しかし、三角に切って、いちばん上の数cmの部分しか食べない。まだ十分に甘い部分が残っていても放置。しかも放置されたのは1個や2個ではなく、お皿は無残な状態に。それを見たほかの選手は「また長嶋さんに先に食べられた」と嘆くことしばしば。
⑦長嶋で~す
長嶋さんは選手時代、監督時代とも合わせて新幹線移動が多かった。入場する際にマネージャーから切符を渡されるが、長嶋さんは気づいたら紛失してしまうのだという。ただ、それでもホームにいるので、不思議に思ったマネージャーが入場する長嶋さんを見ていると、切符を見せずに「長嶋で~す」と言って入場。係員も何も言わなかったという。
⑧槙原への17本のバラ
1993年オフ、巨人の槙原寛己がFA宣言。この年、自己最高の13勝、防御率2.28の好成績でチーム内の最多勝投手だった槙原だけに、首脳陣はあわててミーティングを実施した。監督だった長嶋さんが「槙原が抜けるとなればマイナス13勝だが、投手陣は来季、大丈夫か」と堀内恒夫投手コーチに確認すると「大丈夫です!」と返答されたという。そこで長嶋監督は「よし、槙原の問題はこれで終わり」と、にこやかにミーティングの終わりを告げた。
ところが翌日、事件が起こる。前日の宣言は何だったのか、監督自らバラを持参し、槙原宅を訪問。その際「君の力が必要なんだ」の殺し文句で説得した。ちなみに長嶋さんは「槙原の背番号と同じ17本のバラを用意した」と話していたそうだが、実際は20本だったという。
⑨焼き鳥泥棒
長嶋さんには行きつけの焼き鳥店があり、カウンターのいちばん奥が指定席だった。ある日、長嶋さんが来店すると、満員でカウンター手前の「焼き鳥の提供口」用の席しか開いてなかった。店主はそのことを申し訳なさそうに伝えると、長嶋さんは「僕は大丈夫です。気にしないで」とにこやかに返答した。
ところが数十分後、いろいろなテーブルから「大将、ウチの焼き鳥、まだ?」といった声が多発した。店長は出したはずの焼き鳥が届いていないことに驚きつつ、「まさか?」と思って提供口の席を見ると、串だけが置かれていたお皿と、長嶋さんの満足そうな笑顔があった。
⑩ワンちゃんの最大のライバルはチョーさんだった
王貞治氏は三冠王を1973年、1974年と2年連続、2度獲得しているが、そのほかにもあと5回、獲るチャンスがあったともいわれている。王氏の三冠王を「あと一冠」で阻止していたのは、じつは長嶋さんだったのだ。1966年と1971年は首位打者、1968年、1969年、1970年は打点王と、ことごとく阻止。もちろんプロなわけだから、私情を挟むべきではないが、「5回もあったなら1回くらいは」と思うファンも多かったのではないか。
王氏が「長嶋さんは何でも許される」と語った気持ちが、なんとなくわかったような気がする。