
2009年、パーティに参加した長嶋茂雄さん
閑静な住宅街に1台の車が停車すると、喪服を着た数名が目の前の自宅に入っていった。この日(6月8日)は、ミスタープロ野球・長嶋茂雄さん(享年89)の告別式だった。
「長嶋さんは、6月3日、肺炎のため、都内の病院で死去されました。同日13時ごろ、長男でタレントの一茂さん、次女でスポーツキャスターの三奈さんが、長嶋さんのご遺体とともに帰宅。
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三奈さんは報道陣に会釈すると、茂雄さんの荷物などを自宅に運んでいました。数十分後には福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長ら、生前つき合いがあった方が続々と弔問に訪れました」(スポーツ紙記者)
そんななか、告別式の取材をしている本誌カメラマンに声をかけてきたのが、長嶋さんの専属広報を長年務めた小俣進氏だ。
「長嶋さんの遺骨は海外に持っていくから、もうここにはなくなるよ」
小俣氏はそう告げると、長嶋さん宅に戻っていった。
「海外に持っていくとしたら、ハワイでしょうね。なぜなら長嶋さん夫妻のお墓は都内にありますが、最愛の妻・亜希子さんたっての希望もあって、ハワイのお墓に分骨しているからです。長嶋さんの遺骨も分骨して、亜希子さんのお墓に入れるということでしょう。
一茂さんがたびたびテレビ番組で明かしていますが、周囲に『気づくと(ハワイに)行っている。おふくろの墓があるんで、自分もこっちで』と漏らしています」(球団関係者)
“母が眠る地” での埋葬を希望している一茂。ハワイ好きになったのは、ほかでもない亜希子さんの影響だった。
「一茂さんはよく亜希子さんにハワイに連れて行ってもらっていたといいます。子供たちは、お父さんがお母さんを熱烈に愛した結果、結婚したことを知っています。それでも晩年は、すれ違いの生活を送っていたことも知っています。
だからこそ、お父さんにはハワイのお墓にも入ってもらって、今度こそ “普通” の夫婦生活を始めてほしいと願っているのかもしれないですね」(同前)
1965年に結婚した長嶋夫妻の結婚生活は、順風満帆なものでもなかったという。
「亜希子さんは1964年の東京五輪のコンパニオンを務めていました。その仕事ぶりを見て一目惚れした長嶋さんから、猛アタックの末に結婚することとなりました。ただ、スーパースターとの結婚生活は想像を絶するものだったそうで、徐々にすれ違いが生まれていきました。
決定打となったのが、1980年の監督解任でした。それこそ夫は巨人にすべてを捧げてきた人だという自負が、彼女にはあったのです。このシーズン、巨人から長嶋さんへ『3位に入れば続投』という約束があったんです。
ところが、3位になったものの約束は反故にされて解任されました。ですが、解任によって夫が球界から離れられると妻が安堵したことも事実。ようやく、いや、初めて本当の意味での夫婦生活が始まると思ったそうです」(巨人担当記者)
だが、「亜希子さんの期待は裏切られたんです」と続ける。
「巨人から解任されたのにもかかわらず、長嶋さんの頭の中には野球のこと、巨人のことしかない。そんなことから、夫婦間に徐々に亀裂が走ることになったそうです。
2004年3月に、長嶋さんが脳梗塞で倒れたとき、夫婦はすでに別居していたのですが、夫が倒れたことで『リハビリを手伝わなければ』と亜希子さんは、イキイキしていました。これでようやく(長嶋さんが)野球から離れられると思ったんですが……。
翌年、劇的に回復した長嶋さんは、アテネ五輪はダメでも北京五輪があると、野球のために今まで以上の激しいリハビリを自らに課して復帰を目指しました。その姿を見て、亜希子さんのなかで “亀裂” が決定的になったのではないでしょうか」(同前)
今回、ナガシマ企画とオフィスエヌに、長嶋さんの遺骨を海外に持っていくのか質問書を送ったが、期日までに回答はなかった。一方で、小俣進氏にも再度問い合わせたところ「(遺骨を)海外に持っていくなど言っていません。静かな場所に持って行くとは言いました。詳細はわからない」とのことだった。
長嶋さんは亜希子さんとの初デートの際、興奮のあまり、まだ日が昇り切らないうちに目覚め、やることがないので自宅前の掃き掃除を始めると、自宅から数百メートル離れた駅まで掃除したという都市伝説がある。
亜希子さんが亡くなったのは、2007年9月のこと。ミスターは18年ぶりに最愛の妻と再会し、今度こそ静かに眠るのだろう。