
逆転Vへのラストスパートに入った日ハム・新庄剛志監督
シーズン終盤、パリーグでは首位ソフトバンクに肉薄し、逆転Vを狙う日本ハムの新庄剛志監督。ツーランスクイズ、“日替わり打線”、先発投手のリリーフ起用……繰り出す作戦はしばしば“奇策”と評されるが、確実に勝利に結びつけてきた。その采配は天性のひらめきか、緻密な計算に基づくものか。現役時代、新庄監督とともに阪神でプレーし、チームの“センターライン”を担った久慈照嘉氏に、北のビッグボスの魅力を聞いた。
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1989年ドラフト5位で入団した新庄剛志といえば強肩、俊足を生かした外野手のイメージが強いが、じつのところ入団当初は内野手としてプレーしていた。
一方、久慈氏は1991年ドラフト2位で入団。2人は同じチームの一員としてだけでなく、1992年にはショートのポジションで新人王を争った。
「新庄はたしか最初はサードをやっていたはずなんですが、本人は『ショートがやりたい』と。そのため、同じポジションを争う関係になりました。レギュラーを取るためにはアピールしなければなりませんが、彼には打撃ではまったくかなわないから、守備で勝負するしかないと感じていました」
事実、高い守備力が功を奏し、新人王を獲得したのは久慈氏だった。
「ポジション的にはライバルだけど、新庄が僕と争っていると感じていたかはわかりません(笑)。タイプは違うし、モノも違いましたから。
ショート・新庄の印象? 守備からして派手だったし、とにかく真っ赤っかなものさえ身につければいいと思っていたんじゃないかな(笑)。手首から肘まである真っ赤なリストバンドを着けてましたから。阪神カラーは黄色、黒、白なのに『なんであいつだけ赤?』と思ってましたよ。プレーでも目立って、身に着けるものでも目立って、『俺が新庄剛志だ!』とアピールして歩いているようでした(笑)。とにかくすごい人気で、寮の周りに女の子が大挙して押しかけ、警官が警備していたほどでした(笑)」
突き抜けた言動に周囲は戸惑い、慌て、そして喜んだ。故・野村克也氏は阪神監督時代に彼を「宇宙人」と命名。その影響で、周囲は「センスや感覚だけでやっている」と感じていた。
「実際はまったく逆ですね。彼の考えることはメチャクチャ細かいですよ。本当に頭がいい。例えばセンターの守備。彼は一球一球、守備位置を変えていましたから。1点を争う終盤のピンチではコーチから守備位置について指示が出ることはあります。でも、まだ回が浅くランナーもいないときは指示は出ませんが、彼は自分で少しずつ調整していました。驚くことに、彼はバッターの特徴や癖など、すべてを把握していたんです。基本的にセンターは真ん中にいますが、打者やカウントによって『なんでそんなとこにおったんや』ということは数えきれないほどあって、しかもちゃんと捕球してましたからね」
現役時代から、それだけ考えてプレーしていたのであれば、「将来監督になるな」と思ったことはあったのか。
「ないです! ないですけど、監督をやるとメディアに出たときは、なんというか『高校野球の延長でやっているんだろうな』と感じましたね。楽しそうだし、やっている作戦も含めて。2022年、僕が阪神のコーチを務め、彼が監督1年めのとき、春季キャンプの沖縄・宜野湾で練習試合をやったことがあった。そのとき『よっ! 監督』と言ったら『やめてくださいよ』と照れてましたが、”新庄オーラ”は全開でした(笑)」
9月14日現在、首位・ソフトバンクに2.5ゲーム差の2位と好調なだけに、手堅い作戦はもちろんのこと、勝負どころではツーランスクイズやダブルスチールなど、思い切った作戦も目立つ。
「それこそ“新庄オーラ”が出ておもしろいんじゃないですかね。奇策と言われるものも含め、いろいろな作戦を取り入れていますが、相手のことをちゃんとわかっているからこそなんです。わかっているのが自分のことだけなら、サインは出せてもうまくいくとは限らない。相手がこう動くからこうするとか、ものすごく考えているはずです。日ハムの攻撃で一、三塁になったら、守っているほうは『何かやってくるんじゃないか』と、ものすごく嫌なはずです」
8月5日の西武戦で日ハムはツーランスクイズを決めているが、新庄監督は「外国人がファーストを守ってる場合、サードからの返球を受けてボールを捕った後にファーストベースを確認してベースを踏みホームに投げる選手がほとんどだ」と、しっかりと分析していたことを明かしている。
「そのようなデータを彼は見逃さないんですよ。あるいは、つねに見ているという能力が新庄にはある。でも、それは日ごろからやっていないとダメなんです。もっと言えば、現役のころからやっていないと。けっして監督になってやり始めたことではないと思っています。彼は日本にいるとき、アメリカにいるときから、そういう感覚でプレーしていたと思いますね。だからすごい。日ハムの監督になって4年になりますが、着実に彼の考えがみんなに浸透していると思いますね」
新庄は阪神に始まり、MLB、そして日ハムと数多くの監督のもとでプレーしてきたが、影響や参考にしている監督はいるのだろうか。
「僕はわかりませんが、パッと見では“新庄剛志像”でやっているとしか思えません。もちろん野村克也さんなど、素晴らしい監督の知恵を授かっていることはあると思う。でも、僕のなかでは新庄剛志が自分のなかでオリジナルを作って監督としてやっているとしか思えないんですよ。だからすごいと思うし、ファンは見ていて楽しいんだと思う。作戦が成功すれば選手たちも喜ぶし、新庄もそう。やはり自分が責任を持つという部分で喜びますし、選手にも感謝していると思いますね」
選手としても監督としても、これだけファンを喜ばせてくれるのは、今年亡くなった長嶋茂雄氏と新庄がすぐ頭に浮かぶだろう。ただ、“ミスタープロ野球”とは違った魅力があるのも事実。新庄は日本プロ野球界に何をもたらしたのか。
「日ハムは、新庄を現役と監督の2回、北海道に連れてきたわけですよね。そして新しい球場はできたし、今度は2軍も北海道に行くわけです。そうなったら本当に北海道イコール日ハムじゃないですか。いい流れが来ているわけです。その中心は間違いなく新庄です。
僕は今後、彼のような感覚を持った人間が出てくるかと言えば、『出てきません』と答えますね。誰がユニホームに襟をつけるなんて発想を持ちますか(笑)。『これはユニホームじゃない』と思うようなことをするわけです。そういう発想をもたらす人間は今後、出てこないし、真似する人間すらいないと思います。新庄は周りがどう思おうと、どう言おうと『僕はやりたいからやりますよ』と責任を持ってやることがすべてなんです。それが新庄剛志であり、北海道の方々に楽しい4年間を与えてくれたと思っています。何度も言いますが、新庄みたいな人間は二度と現れません。逆に現れてほしくないと思っています、僕は」
シーズンも残り10試合あまり。“新庄劇場”は有終の美を飾れるか。