スポーツスポーツ

松坂大輔「ようやく痛みを怖がらずに投げられるようになった」

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.04.08 11:00 最終更新日:2018.04.08 11:00

松坂大輔「ようやく痛みを怖がらずに投げられるようになった」

 

「やっと、やっとという感じでしたね。肩を痛めてから、多くの病院を訪れたんですが、痛みの原因がわからなかった。となると、治療法もわからない。それが昨年の夏過ぎに、千葉・船橋にある病院で診察したら、痛みの原因がわかったんです。

 

 それから治療、リハビリを続けたら痛みがなくなった。昨年10月にはブルペンに入って投球練習をしましたが、翌日にリバウンドがなかった。ようやく、痛みを怖がらずに投げられるようになったんです」

 

 2018年、中日にテスト入団した松坂大輔は、当時のことを笑顔で振り返った。しかしそこに至るまでは、まさに身を削る思いで、痛みの原因を模索していた。

 

「肩の治療の権威」との噂を聞けば、それこそ全国の病院を行脚した。それでも、訪れた病院のほとんどが「肩の肉離れ」と言うだけで、原因が究明されることはなかった。

 

 本誌は、1年前の春季キャンプでも松坂を直撃していた。そのときは「肩の痛みの原因がわからない。ただ、今は痛みがないので」と語っていた。だからこそ「今年こそは」と、春先から飛ばした。が、その後に痛みが再発。

 

 結局、昨季は一軍で一度も登板することができず、3年総額12億円で契約した最終年が終わった。

 

「昨年の夏場に、状態が一時上がってきたんです。でも、突然痛みが再発することがたびたびあった。どの病院に行っても診断の結果は同じ。さすがに心が折れかけ、『やめたら楽になれるかな』と、考えたこともありました」

 

 まさに「藁にもすがる思いで」訪れた船橋の病院。それまでに訪ねた病院の数は、優に40カ所を超えていた。

 

「これまでの病院とは違い、肩の角度といろいろと変え、何十回もMRIを撮ってくれたんです。それでついに原因を突き止めたんです」

 

 肩の痛みから解放された2017年終盤は、新シーズンに向けて光明が見えはじめ、手ごたえを感じていた時期でもあった。

 

 ところが、ソフトバンクが新たな契約を結ぶことはなかった。一部報道で、球団側は現役復帰の道を残したうえで、来季からリハビリ部門のコーチ就任を打診したと報じられたが、実情は違っていた。

 

「球団からの呼び出しがあったとき、場の雰囲気が重かったので、これは再契約の意思はないんだなとわかったんです。それで自分から、『わかっています。覚悟はしていますから』と言ったわけです」

 

 3年間で、一軍登板はわずか1試合1イニングのみ。壮絶なリハビリや治療を知らないファンは、大型契約だったことを受けて、「給料泥棒」と非難した。

 

 マスコミも、多くの一流選手を輩出した1980年生まれ、いわゆる“松坂世代”の終焉と報じた。

 

「松坂世代とよくいわれますが、僕自身はあまり思うところはないですね。それよりも1986年のダルビッシュ有、1988年の田中将大、1994年の大谷翔平の世代のほうが、素晴らしい選手が多く出ているんじゃないですかね」

 

 と、本人は意に介さない。オフの戦力外通告も、プライドをかなぐり捨ててまで現役にこだわったのは、「このままでは終われない」の一心だった。

 

 そんなとき、中日の森繁和監督(63)から電話があった。内容はいたって単純。「ウチでやってみないか」。嬉しかった。だが、日本球界に復帰してからの3年間は何も成し遂げておらず、「お世話になります」のひと言が言えなかった。

 

 そこで、西武時代に公私ともにお世話になり、現在は中日編成部の国際渉外担当を務めているデニー友利氏(50)に相談した。何度も会食を繰り返し、聞き役に徹していた友利氏が、最後に「来いよ!」と言ってくれたことで、覚悟が決まった。

 

 そして臨んだ今キャンプ。中日は若い選手が多く、松坂にはリーダー的役割も期待されている。

 

「楽しそうに練習している? いやいや、そう見えるかもしれませんが、新しいチームなので気遣いが半端じゃないですよ」

 

 と笑うが、動きは軽快そのものだった。とくにバッティング練習では、もともとセンスがあっただけに快打を連発。大谷翔平(23)ばりの二刀流の期待も高まっている。

 

「西武でもメジャーでも打席に立つことが少なかったですからね。バッティングはほんと難しいですよ。でも、二刀流をテーマに頑張っていきたいですね(笑)」

 

 本職のピッチングでは、2月26日の韓国・ハンファ戦に登板。じつに338日ぶりのことだった。1イニングを投げ、2三振を奪いノーヒットに抑えた。

 

 ストレートは最速143キロ。全盛期のように力でねじ伏せる投球ではなかったが、「いかにストレートを速く見せるか」をテーマに登板しただけに、スライダー、チェンジアップを有効に使い、相手打線を手玉に取った。

 

「(初登板で)名前をコールされて、観客の拍手がいちばん嬉しかった。一軍の公式戦でも拍手がもらえるように、しっかり調整していきたい。肩の痛み? 短いイニングなのでなんともいえませんが、痛みはなく今のところは大丈夫ですよ」

 

 なによりも例年になく笑顔が多かったことが、順調にきている証拠だ。松坂は入団1年め、イチロー(44)を3連続三振に打ち取ったことで、「自信が確信に変わった」と名言を残している。

 

 日米通算164勝の“平成の怪物”は、プロ20年めを迎えた。復活を確信できるようになる日は近い。

 

(週刊FLASH 2018年3月20日号)

続きを見る

今、あなたにおすすめの記事

スポーツ一覧をもっと見る