
読売巨人軍の橋上秀樹監督代行(写真・共同通信)
世間を驚かせた読売巨人軍・阿部慎之助監督の辞任劇。阿部前監督は「伝統ある巨人軍という監督の名も汚してしまって」と涙ながらに語った。監督がシーズン途中に成績不振以外で辞任するのは、巨人史上初めてのことなのだ。それだけに今回の辞任は、巨人軍にとって大きな“汚点”として歴史に刻まれることとなった。
もう一つ、重要な“初物”がある。阿部前監督のあとを継ぐ形となった橋上秀樹監督代行は、巨人でのプレー経験のない初めての監督となるのだ。橋上監督代行は東京・安田学園出身で、阿部前監督の先輩に当たる。その意味では巨人とのつながりもあったかもしれないが……。
橋上監督代行は1983年にドラフト3位でヤクルトに入団。捕手から外野手に転向し、主に守備固めや代打で活躍した。そして、1990年には運命の出会いを果たす。野村克也氏がヤクルトの監督に就任し、ID野球に大きな影響を受けるのだった。その後、日ハム、阪神でのプレーを経て引退。12年間の現役生活での通算成績は、215安打、17本塁打だった。
引退後は指導者の道に進み、2012年から2014年まで巨人で戦略コーチ、打撃コーチを歴任。原辰徳監督の下でリーグ3連覇と日本一に貢献した。2025年からは、野村楽天でのヘッドコーチ、BC新潟でのコーチと監督の経験を活かして、巨人のオフェンスコーチとして阿部前監督を支えていた。
「これまでに2度コーチとして巨人入りをしているわけですが、原氏と阿部前監督に請われて来ているだけあって、監督からの信頼は厚かったと思います。野球観に関しては、もちろん野村さんの影響は多分に受けていました。野球をデータ分析し、統計学的根拠から選手の評価や戦略に落とし込むセイバーメトリクスを、巨人に取り入れた人物として知られています。データの活用が遅れていた巨人だけに、橋上氏のコーチ就任は、巨人の野球を変えたとさえ言われています。
カリスマ性がないのが玉に瑕ですが、人柄は温厚で、選手に対して分け隔てなく接することができると評判です」(スポーツ紙巨人担当記者)
巨人の山口寿一オーナーは、橋上代行監督の任期を「今シーズン最後までお願いしました」と明かしたが、「ものすごく心配な点がある」とスポーツ紙デスクが言う。
「それは、巨人でのプレー経験がないこと。それが今後にどう響くか不安なのです。2005年、巨人は1979年以来の5位と低迷していました。そこで巨人の背広組は“禁断の手”に打って出たわけです。次期監督に“外様”である星野仙一氏を招聘したのです。1968年のドラフトで指名すると約束していたにもかかわらず、反故にされた星野氏は以来、“巨人憎し”を胸に野球人生を送ってきました。巨人もそれを知っていましたが、それでも星野氏に声をかけたのは、成績不振でなりふり構っていられなかったからです。星野氏も意気を感じ、就任は時間の問題と見られていました。
ところが、金田正一氏ら大物OBらが猛反対。“外様”を反対理由にして夕刊紙などにコメントを出して大騒動になったんです。結局、星野氏が辞退し、監督就任はなくなりました。橋上氏も星野氏同様“外様”です。今回の監督交代劇は急遽ということもあり、大物OBたちも現時点では反対の声明は出していません。ただ、負けが込むようだと、彼らが中心となって騒がしくなる危険性はあるでしょう」
あらゆるスポーツでグローバル化が進むなか、“外様”が一度も監督になっていなかった歴史のほうが驚きに値すると思うのだが……。
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