スポーツ
甲子園の名物実況「植草貞夫アナ」の絶叫はすべてアドリブ
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.08.17 16:00 最終更新日:2018.08.17 16:00
数々のドラマを生んできた夏の甲子園。なぜ、我々は高校球児のプレーに心打たれるのか。28年間、甲子園の実況を務めた植草貞夫さん(85)が熱戦の陰にあった魂の名言を明かす。
思い出深い言葉として、まず出てきたのが、「甲子園は清原のためにあるのか」。
67回大会(1985年)の決勝、PL学園vs.宇部商で6回裏、PLが1点リードを許す場面。
「4回に清原が打った1本めのホームランのときは、あの言葉は出ないんです。まだ試合は序盤。自然に出たというのは、試合の目処がここでついたという直感があったんでしょう。
セカンドキャンバスをまわったときに清原のアップが映って、それを見て無意識に出たんです。清原が『たんなるホームランが、あれで伝説のホームランになった』と喜んでいたそうです」
「背番号1の水野が背番号11の桑田に、いつもやってることをやられました」
この名言が生まれたのは、65回大会(1983年)の準決勝、PL学園vs.池田だった。夏春連覇の池田はV候補。
「圧倒的な強さを見せると思ったら、桑田(真澄)が超美技のダブルプレーで初回を切り抜け、2回裏にホームラン。水野(雄仁)は『なんで1年坊主に打たれるんだ』という顔をしてましたね」
これらとは少し違った立ち位置から発せられた名言は、74回大会(1992年)の星稜vs.明徳義塾。超高校級の松井秀喜に注目が集まった一戦。
「全5打席、全部ストレートの四球。だから5×4=20。僕は20回『勝負しません』としか言わなかった。解説者も『勝負してくれ』だけ。あの試合は(相手投手の気持ちも考え)よけいな言葉は省いて、『勝負しません』だけでした」
名言はすべてアドリブ。
「たまに『あのシーンをどう実況されますか』と聞かれるのですが、実際に見ないと言葉は生まれてこない。残念だったのは江川卓、松坂大輔の2人を一度も実況できなかったことですね」
うえくささだお
朝日放送時代の1960年から1988年まで、甲子園の実況を担当。定年退職後も同局の専属キャスターとして活躍
(週刊FLASH 2018年8月14日号)