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始まりは1998年…松坂大輔に一度も勝てなかった杉内俊哉が引退
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.09.13 11:00 最終更新日:2018.09.13 11:00
20年前の1998年8月16日。当時高校3年生だった2人の天才投手は、夏の甲子園2回戦で投げ合った。横浜高校の松坂大輔は同年春のセンバツ優勝投手。対する鹿児島実業の杉内俊哉は、1回戦で八戸工大一相手にノーヒットノーランを達成。注目のカードを見に来た5万3000人の大観衆の前で、白熱した投手戦を展開した。
試合前、松坂は「杉内君ですか? 意識しますよ。いい投手と投げ合えるのは楽しい。(ノーヒットノーランではなく)僕は完全試合から狙っていきます」と闘志をむき出しにした。
5回まで、手に汗握る投手戦を展開。
試合の均衡が破れたのは6回、横浜高校が、先制する。今年引退を表明した3番打者・後藤武敏(現DeNA)の犠飛だった。最終的には6−0で横浜高校の勝利。松坂は自己最速151キロをマーク。5安打、無四球、9三振を奪い完封した。バットでも杉内から2ランを放ち、これが記念となる甲子園初アーチだった。
あれから20年の時がたった。37歳になった巨人・杉内俊哉が12日、現役引退を表明した。影響を受けた選手について聞かれると「やはり松坂。高校で対戦して衝撃を受けました。高校生が投げるボールじゃないと、あのときは感じました。彼をずっと追いかけてきた同級生はいっぱいいる。僕もそう。彼がレベルを上げてくれた」と感謝した。
高校3年夏の甲子園で初めて投げ合って敗れてから、プロでも3戦2敗。「結局、松坂に勝つことなく先に引退。これは心残りなんですが……。これからは応援する側。彼が1年でも長くできるよう応援したい」と悔しさもにじませた。
対して松坂は、杉内を「高校時代に甲子園で対戦してから、ずっと強く意識してきた仲間。自分の中で最高のライバルだった」と語った。
球界を代表するエース2人は、国際大会でチームメイトになったこともある。2009年3月22日のWBC準決勝、アメリカ戦。松坂が先発し、5回表の2死1、2塁のピンチを招いたあと、杉内がリリーフ登板。見事、次の打者を三振に抑えた。
引退会見で杉内は、国際大会について印象に残っているのは「中継ぎに回って登板するときの(ベンチからブルペンにかかってくる)電話の音ですかね(笑)。一気に体が温まるというか。投げてなくても、すぐ投げられるほど一気に沸点が上がる。あれは味わったことがないし、国際大会ならではだと思う」と語った。
終生のライバル・松坂の後のマウンドに立ったとき、彼の本領が発揮されたに違いない。