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元ヤクルト加藤幹典、サラリーマンを経てワインバー開業

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.11.08 16:00 最終更新日:2023.02.17 17:11

元ヤクルト加藤幹典、サラリーマンを経てワインバー開業

 

 2018年も逸材揃いだったプロ野球ドラフト会議。東大合格より難しいといわれる世界に飛び込んだ、かつての「選ばれしエリート」である、元ヤクルトの「ドラ1」加藤幹典を訪ねた。

 

「調子自体はよかったんです。でも腕は思いっきり振れているんだけど、球に力が伝わっていかない。大学では最速150キロの速球が、148キロ止まり。

 

 

 年を重ねていくうちに球速は下がり、プロ3年めは140キロ出るか出ないかまで落ちていきました。そのとき初めて肩の痛みが出て、精密検査を受けたんです。

 

 結果、筋肉の反応がなく、神経麻痺の状態でした。もっと早くに受けていれば、 違った形になっていたのではという後悔はあります」

 

 期待は感じていた。ただ、重圧とはとらえていなかった。

 

「自分ではやれるもんだと思っていましたから。上位指名と下位のそれとでは、違いは感じました。

 

 二軍でも登板回数が多く与えられ、一軍に行きやすいというか。でも、4年めには登板回数が減ったり、敗戦処理と出方が変わってきた。『そろそろだな』と覚悟はしていました」

 

 退団後は、ヤクルト本社でサラリーマン生活を経験した。

 

「退団後、すぐに独立を考えていたんです。ところが妻に、『社会人生活を3年続けてからにして』と強硬に反対されました。

 

 妻はフリーライターとして社会にもまれていたし、8歳年上。僕の事業計画が『夢物語でしかない』ことや、社会人としてのスキルがないとわかっていたんでしょう。

 

 社会人としての約5年間は、いまの仕事にたいへん役立っていますし、妻には頭が上がりませんよ(笑)」

 

 2018年6月に、念願だったワインバー「Bridge Bar East」を池袋にオープン。ジョージアワインとおいしい料理を楽しめるお店だ。今後は店の経営と、野球の普及を目指す。

 

「選手にとって、引退後のセカンドキャリアは大きな問題。そのサポートも考えています。それには『箱』(子供たちを指導できる施設)を持ちたい。元選手を雇うこともできる。来年には実現したいと考えています」


かとうみきのり
1985年6月4日生まれ 神奈川県出身 背番号「16」で、石井一久の後継者と期待されたが活躍できず。プロ4年間の通算成績は23試合1勝3敗、防御率9.13

 

(週刊FLASH 2018年11月6日号)

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