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出来高払いに優勝ボーナス…当事者が明かす「契約更改」裏側

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.12.17 16:00 最終更新日:2018.12.17 16:00

出来高払いに優勝ボーナス…当事者が明かす「契約更改」裏側

 

 今年の契約更改が詰めを迎えている。普段は語られないその裏側を、当事者の2人が語り尽くす。元オリックス・阪神の投手だった野田浩司氏(50)と、元オリックス球団代表の井箟重慶氏(83)が18年ぶりの再開。オリックス黄金期の査定は「勝利至上主義」だったという――。

 

ーー野田さんは、1992年オフに松永浩美さんとのトレードで阪神からオリックスへ移籍されました。両球団の契約更改は違いましたか?

 

 

野田 阪神のときは、たとえば5勝10敗でも180イニング投げたら給料が上がるみたいな感じでした。オリックスは全然違いましたね。

 

井箟 僕が代表になったとき、査定員に言ったのは、「勝つための貢献度に点数をつけてくれ」。2割5分に届かない打者でも勝つことに貢献する打者もいる。それを1試合、1試合、査定する。評価価値を変えたんです。

 

野田 極端でした。移籍1年めに最多勝を獲れたので、4000万円ぐらいから9000万円ぐらい(報道では推定8900万円)に上がりましたから。当時はそんなにむちゃくちゃに上がる時代ではなかった。

 

井箟 とにかくうちは勝利貢献度でいこうと決めた。ある投手は「10勝しました」と胸張って来たんですが、10敗していた。5割じゃないかと。そこから頭ひとつ出ないとチームも優勝できない。

 

野田 最多勝の次の年が12勝11敗だったんです。主力は下交渉から入るんですが、ダウンだった。嘘だろ、と。それで僕が持ち出したのが最終戦での登板。それが、勝ったら2位で負けたら4位というAクラスがかかった試合だった。そこで完投勝利したんですね。
「代表、あの試合で負けてたら来年、開幕は神戸ではないんですよ」と言いました(笑)。 最終戦の話は自分の中で「隠し球」にしていたんです。

 

井箟 球団も都合が悪いのは出さない(笑)。駆け引きだよ。

 

野田 そのときの下交渉は電話で1回だけありましたね。

 

井箟 年俸の高い人と交渉を何回もやると、絶対に球団が悪者になる。それこそ、「ケチックス」なんて言われて(笑)。下交渉には、そういうのを避ける意味もあるんです。

 

野田 下交渉ではダウンでしたが、実際に交渉へ行くと現状維持ぐらいまで戻っていた。

 

井箟 球団側も下交渉ではふっかける。選手がどれぐらいの額を頭に置いているのかを知りたいんですよ。

 

井箟 2桁勝つ投手は、球団側からすると最初から計算に入っている。優勝するために、2018年はこの投手が何勝、何勝と計算して、彼(野田)ぐらいになったら2桁は当然になっている。それが、13になるのか、ひょっとしたら18なのか。それが勝ちに貢献したかというのに繋がるんです。

 

ーー「隠し球」を使った1994年オフから、野田さんは出来高契約を結びました。当時の球界では珍しい契約ですよね?

 

野田 これぐらいの年俸になると12勝しても上げてもらえないというのがわかったので、やってないことに対して約束してもらおうと(笑)。優勝ボーナスとか、勝ち負けの差とか、防御率とか。優勝ボーナスがいちばん大きかった。

 

井箟 高年の選手には全員、優勝ボーナスをつけました。

 

野田 その後、自分の成績は伸び悩んだんですが、優勝したので、年俸は上がりました。やったら出すよ、という感じ。後輩にも「出来高にすればいいのに」と言ってました。

 

井箟 球団にとってあまりいいシステムじゃない。お金を取られるだけだからね。選手にしてみたら自信があるから、いい成績だったときはどうしてくれるんだという話から出来高が生まれた。球団としては本当はやりたくない。

 

野田 そうですよね。優勝の可能性が高い球団でしたから。

 

ーー1995年にパ・リーグ優勝、1996年には日本一。そのとき、契約更改の雰囲気はどのようなものでしたか?

 

井箟 1995年は日本シリーズでヤクルトにこてんぱんにやられたんだよね。そしたら、中心選手が誰一人としてごねないんだよ。

 

 彼らが言った言葉は今でも覚えているけれど、「今年は負けて悔しかった。来年、もう1回優勝して日本シリーズ勝ちましょう」と。それを中心選手が、野手でも投手でも何人か言ってくれたですよ。そのときに、これは来年勝てるなと思いましたね。そして案の定、強かった。

 

ーー優勝のときこそ、上げてくれとなる気がしますが……。

 

井箟 契約に来てるのに選手の気持ちがお金じゃないんだ。そのときの更改は楽だったよ。こっちにしてみれば、ちょっと身構えてたんだけどね。

 

野田 ヤクルトに敗れて悔しかったですよね。

 

井箟 ノムさんと古田(敦也)におちょくられたから(笑)。

 

ーー最近の「銭闘」事情についてはどう思いますか?

 

野田 今はどうなんでしょうね。あれだけ高額になったら……。

 

井箟 すべてエージェントですよ。僕のときみたいな話はエージェントとはできない。

 

野田 弁護士の人が代理人についたら、その選手の1年間のプレー見てないですもんね。込み入った話ができないじゃないですか。

 

井箟 なぜアメリカでエージェントができたかというと、中南米の選手がどんどん増えてきたから。言葉がわからないから通訳のような形でエージェントがついた。日本人対日本人なんだから言葉だって通じる。だから、日本にエージェントなんて必要ないよ。

 

のだこうじ
1968年2月9日生まれ 熊本県出身 1987年にドラフト1位で阪神に入団。オリックスへ移籍した1993年は最多勝投手に。「お化けフォーク」を武器に、1995年には1試合19奪三振の日本記録を達成。推定最高年俸は、1997年の1億1500万円。現在は神戸市で料理店「まる九」を経営

 

いのうしげよし
1935年3月15日生まれ 岐阜県出身 1959年に丸善石油入社。丸善石油野球部マネージャーの経験を買われ、1989年に球団常務としてオリックス入団。1990年から2000年まで球団代表を務めた。その後、球団顧問などを務め、2002年から関西国際大学で教鞭を執り、現在は名誉教授

 

(週刊FLASH 2018年12月25日号)

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