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殿堂入り「立浪和義」痛恨のミスだったヘッドスライディング

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.01.16 09:47 最終更新日:2021.11.14 09:01

殿堂入り「立浪和義」痛恨のミスだったヘッドスライディング

『写真:YUTAKA/アフロスポーツ』

 

 1月15日、野球殿堂博物館が2019年の殿堂入りを発表し、元中日ドラゴンズ内野手の立浪和義が選ばれた。
 野球報道に関して15年以上の経験を持つ委員約300人が投票し、75%以上得票されれば殿堂入りとなるなか、立浪は77.4%の得票となった。

 

 

「たくさんの素晴らしい指導者に恵まれたことが、おそらく、今日この場所に立たせていただいている理由なんじゃないかと思います」と会見で話した立浪。現役時代は中日一筋22年。1年目から開幕スタメンとして活躍し、新人王やベストナイン、ゴールドグラブ賞を受賞するなど、数々の功績を残してきた。

 

 かつて本誌は、母の好子さんに取材している。

 

「あの子は親離れが早いというか、自立心が強いというか、リトルリーグの遠征があると荷物も全部自分で揃えていくような子。ほんと、野球をやり始めてからは愚痴1つ言わず黙々とやってましたよ」と語っていたが、小学生のときに父を亡くし、早くから自立心が芽生えていたという。プロ野球の厳しい環境にも耐えられる性格も、このときから養われていた。

 

 高校は桑田真澄と清原和博のKKコンビに憧れ、PL学園に入学。主将として1987年の甲子園で春夏連覇を果たした。
 そんな立浪が忘れられない試合がある。

 

「負けたことはあまりいい思い出ではないですが、これからもずっと語り継がれる試合だったとは思いますね」と本誌に立浪が語った試合とは、1994年10月8日の巨人戦。

 

 両チーム最終戦で同率首位。勝てばリーグ優勝が決まる1戦だった。当時の巨人の長嶋茂雄監督が「国民的行事」と語り、視聴率も48.8%を記録するなど、プロ野球史上最高の試合と言われている。

 

 そんな歴史的な1戦で、立浪は長い野球人生の中でやったことのないプレーをし、後々の野球人生まで後悔することになる。それは、8回裏3点ビハインドで立浪が3塁にゴロを打った後のこと。人生で初めてヘッドスライディングしたのだが、その際に左肩を脱臼し、途中退場を余儀なくされたのだ。

 

「僕は小学4年から野球を始めたわけですが、ヘッドスライディングはただの1度もやったことのないプレーでした。もし僕らが優勝したとしても、日本シリーズでのプレーは不可能でしたね。翌シーズンも痛みが取れず、その状態は後遺症となって引退するまで続きました」と本誌に語っている。

 

 引退まで引きずった左肩のケガ。輝かしい野球人生で、唯一の汚点といっても過言ではない痛恨のミスこそ、ヘッドスライディングだったのだ。

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