スポーツ
ディープインパクト、武豊の第一印象は「女の仔かと思った」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.07.30 17:13 最終更新日:2019.07.30 17:14
7月30日、史上2頭目の無敗の三冠馬となったディープインパクトが、北海道の「社台スタリオンステーション」で急死した。17歳だった。
同牧場によれば、7月28日、ディープは頸部の手術を受け、術後の経過も安定していたが、 翌29日の午前中に、突然、起立不能に。レントゲン検査を行ったところ、頸椎に骨折が見つかった。回復の見込みが立たないことから、30日早朝、安楽死の処置が取られたという。
【関連記事:ディープインパクト急死で…「種馬ビジネス」本当のカラクリ】
ディープインパクトが生まれたのは、2002年3月25日。「日本競馬の歴史を変えた種牡馬」と呼ばれるサンデーサイレンスが父親だ。
当時を知る関係者は、かつて本誌の取材に対し、「当時(0歳)いくらか成長が遅かったので、2002年7月のセレクトセール(サラブレッド0歳時におこなわれる日本最大の馬のセリ市)で上場するような馬としては不利だったと思います」と語っている。
実際のセレクトセールでは、ディープインパクトは7350万円で落札されている。
その後、ノーザンファームの横手裕二厩舎で管理された。ディープインパクトを知る当時の関係者がこう明かす。
「調教で特に目立っていたわけではないんですが、乗っていると、体全体が弾むようなクッションのよさは感じました。1歩1歩が小さいんだけど、大きく見せるような感じ。1回1回縮まる、反発する力がすごいんですね。縮んで伸びるバネがすごかった」
レースデビューしたのは、2004年12月。現役時代は、すべてのレースで武豊騎手とコンビを組んだ。武騎手は、2018年の本誌取材に対し、「初めて逢ったときは、小さくてかわいらしい顔をしていて、女の仔と間違えるほどでしたが、いざ乗ってみると、ほかの馬とはエンジン性能がまるで違う。すごいじゃなくて、やばい! というのが最初の印象でした」と、語っている。
騎手も驚く脚力と瞬発力で、ディープインパクトは、デビューからわずか1年で偉業を成し遂げる。2005年には、4月の皐月賞、5月の日本ダービー、10月の菊花賞すべてに勝利し、史上2頭目の無敗の三冠馬となった(1頭目はシンボリルドルフ)。
菊花賞の舞台となった京都競馬場には、無敗の三冠馬誕生をこの目で見ようと、13万人あまりの観衆がつめかけた。圧倒的な支持を集めたディープインパクトの単勝馬券が「100円元返し」となったことは伝説となっている。
その後も勝ちを重ね、2006年の有馬記念に勝利して引退。現役時代の成績は14戦12勝、獲得賞金は当時としては歴代2位の14億5455万円。
2007年からは、北海道の社台スタリオンステーションで、種牡馬となった。その際、組まれたシンジケート(種牡馬の共有システム)は、1株8500万円の60株、計51億円で日本競馬史上最高額となった。
ディープはその後、着々と種付を進め、有力馬を送り出していく。2007年から2018年までの血統登録頭数は1661頭、産駒(生まれた馬のこと)の収得賞金は513億円にものぼる。
競走馬としても種牡馬としても活躍したディープだったが、競馬関係者によれば、近頃は腰の調子が悪く、今年は20頭程しか種付けをしていなかったという。
武騎手は、日本中央競馬会を通じて「体調が良くないと聞いていたので心配していたのですが残念です。私の人生において本当に特別な馬でした。彼にはただただ感謝しかありません」とコメントした――。