名将2人には「ベンチ前の流儀」がある
−−選手に力を発揮させるために、試合中に心がけていたことはなんでしょうか?
渡辺「ベンチ前で円陣を組むときに、膝をついて選手と目線の高さを同じにしてました。目を見ると選手の気持ちや状態がわかる。
ベンチの中でも選手を見て、『ギラギラしてる。使ってほしいんだな』とか、『視線を逸らした。ああ、出たくないんだな』と判断することもありました」
−−高嶋さんはベンチ中央での “仁王立ち” が有名でした。
高嶋「智辯和歌山に移って、初出場から甲子園で5連敗したんです。それまではベンチに座ってたんですけど、6回めに立ったら勝ったので、それから座れんようになった(笑)。雨が降ってていても、『選手は濡れながら頑張っとるんやから』と。
でも、ああやって前に出ていると、ミスをした子に対して、わざわざ後ろを向いて怒れないんです。怒られないから選手はのびのびしてる。せいぜい、ちょっと呼んで『お前のエラーで何点取られたんや? 2点? 2ラン打ったら帳消しやな』と言うぐらい(笑)。
その結果、2000年夏は優勝チーム最多の13個もエラーしたのに、ホームランを11本打って勝った。だから、立ってよかったと思ってます」
−−甲子園の魅力とはなんでしょうか?
高嶋「2000年夏の準々決勝・柳川戦で8回表まで4点負けてたんです。武内(晋一、元ヤクルト)が放り込んで、さらに2人出て山野(純平)に回った。
そしたら、『ホームランが出たら同点や』というお客さんの声が聞こえるんです。山野の打球は上がりすぎて、無理だと思った。そのときです。お客さんが後ろから『入れ! 入れ!』と言うのが聞こえた。
そしたら、スタンドにいくんですよ。スタンドとの一体感。負けてるほうを応援する雰囲気。あれがホンマの魔物というんでしょうね」
渡辺「私もそれは経験しました。松坂が延長17回(1998年夏・準々決勝・PL戦)を投げ切った翌日の、明徳義塾戦です。松坂に投げさせなかったら、8回表まで0対6。
『負けるなら、最高のメンバーで』と、最後に松坂をマウンドに立たせたら異変が起きたんです」
−−松坂の登場とともにスタンドの雰囲気が変わり、横浜は7対6と奇跡の逆転サヨナラ勝ちを収めましたね。
渡辺「私はね、15歳から18歳って、いちばん我慢できる年だと思うんですよ。高校野球で真剣に練習して、真剣に涙を流して、真剣に自分に向き合う。ただ楽しむ野球であってほしくないと思うんです。楽しむプラス自分を鍛える。
今の時代でも、厳しさがなかったら勝てませんよ。甲子園という場所は、お客さんに何かを与える場所。そして、選手たち自身も何かを学んでくる場所。限界にトライしてもらいたい。
それが、卒業後に生かされるし、感動を与えることにもなる。それが、高校野球であり、甲子園なんですよ」
わたなべもとのり
1944年11月3日生まれ 神奈川県出身 1968年に横浜の監督に就任。松坂大輔を擁した1998年の春夏連覇をはじめ、1973年春、1980年夏、2006年春と5回日本一に導く。甲子園通算51勝
たかしまひとし
1946年5月30日生まれ 長崎県出身 1972年から1978年まで智辯学園で監督を務めた後、1980年に智辯和歌山の監督に就任。甲子園優勝3回、準優勝4回。監督歴代最多の68勝を挙げた
取材&文・田尻賢誉
(週刊FLASH 2019年8月20・27日号)