稲垣と一緒に、最前列でスクラムを組む具智元(25、プロップ)は、大食漢で有名だった。韓国出身で、中学生のころに家族と一緒に来日した。
「日本に来た理由は、韓国に比べて、日本のほうがラグビー環境が整っていたからです。ラーメン店で替え玉を10回頼み、スープがなくなったことも。
同じくラグビーをやっていたお兄さんと仲よしでした。筋トレの目標を作っていたのですが、彼はそれ以上にやってしまうので、むしろ『休め』と言うぐらい。彼は『365日、いつも筋肉痛です』と言ってました(笑)」(日本文理大学附属高校ラグビー部監督・染矢勝義さん)
一方、体格に恵まれなくても、努力で日本代表の座を掴んだのが、茂野海人(28、スクラムハーフ)だ。
「中学生までは、背の順で並ぶといちばん前になる子でした。小学生で体の小さい子は、スクラムハーフをやらされることがほとんど。パスが大事ですが、海人はパスもへたくそだったんですよ(笑)。
ずば抜けた運動神経があるわけでもなく、日本代表になるなんて思いもしませんでした。だから生徒には彼の話をして、お手本にさせています」(「岬ラグビースポーツ少年団」コーチ・今坂結信さん)
以下では、これまで紹介した8選手のほかに、7人ぶんの “原石時代” をお届けする。戦士たちが日の丸を背負うまでの道程は十人十色。でも胸に抱く闘志は、みんな同じはず!
●福岡堅樹(27、ウイング)
小学3年生、試合中のひとコマ。
「とにかく足が速かったです。でもトライするとき気を抜いて、足首を捻挫することも(笑)」(「玄海ジュニアラグビークラブ」コーチ・樺島祐介さん)
●リーチ マイケル(30、フランカー)
15歳のとき、ニュージーランドから留学生として札幌山の手高校に入学したリーチ マイケル。写真は入学直前のもの。ひき肉、炒り卵、甘く炒めたピーマンを使った三色弁当が好物だった。
●松島幸太朗(26、フルバック)
写真は、花園準決勝で大阪朝鮮高校にトライを決める、桐蔭学園の松島。
「ステップの幅だけで恵まれた才能がわかります。性格はシャイです」(「ワセダクラブ」コーチ・今田圭太さん)
●堀江翔太(33、フッカー)
写真は中学1年生のころ。山崎まさよしの大ファンで、彼が出演した映画のロケ地を訪れるほど、のめり込んだ。ギターや三線を弾くなど、音楽好きの一面もある芸術家肌だ。
●田中史朗(34、スクラムハーフ)
小学校時代まで、ラグビーと並行して、ソフトボールにも熱中していた。父・義明さんは非常に厳格で、喧嘩で負けて帰ってくると、「もう一回行ってこい!」と怒られたという。
●松田力也(25、スタンドオフ)
「身体能力がずば抜けていました。試合に負けたとき、ほかの子があっさりしているなか、彼だけは悔し涙を流していました」(「南京都ラグビースクール」校長・辻井幸三さん)
●アマナキ・レレイ・マフィ(29、ナンバーエイト)
花園大(京都)時代、紙すきの文化交流を体験した際の写真。トンガで、16人兄弟の15番めとして生まれた。来日当初は、飲んで暴れると止められないという理由で禁酒に。
(週刊FLASH 2019年10月8日号)