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元代表と振り返る「ラグビーW杯」なぜ日本は強くなったのかスポーツ 投稿日:2019.10.12 06:00

元代表と振り返る「ラグビーW杯」なぜ日本は強くなったのか

「ブルームフォンテーンの悪夢」の一戦(写真・アフロ)

 

「80分間攻められっぱなしで、相手の背中ばかりを追いかけていた。3年前に世界選抜にも選ばれ、同じニュージーランド相手にトライも挙げ、自信を持って臨んだ大会。それだけに、情けなかったというか」

 

 いまも語り継がれる、ラグビーW杯の第3回大会の「ブルームフォンテーンの悪夢」を体験した吉田義人さん(50)は、世界選抜に日本人として唯一、3度選出されている。

 

 

「実力差もありましたが、当時、世界はプロ化へと動いていた。プロ化を推進していたNZと、それを否定していた日本との違いが、如実に現われた試合でもありました」

 

 いかんともしがたい実力差。個を伸ばすという意味でも、吉田さんは海外でプロになることも模索した。だが当時、日本ラグビー界は、徹底した「アマチュア主義」。一度でもプロになれば、代表のジャージに袖を通すことは許されなかった。

 

 第1回W杯に出場した、大八木淳史さん(58)が語る。

 

「僕らの時代は、『サラリーマンという本業があってのラグビー』という考え。20歳で代表になって、30歳で代表から退いたのは、神戸製鋼の社長から『やめてくれ』と言われたから。そこから7年現役を続けたのは、会社のためにという思いから。当時は、『代表より強い』といわれていました(笑)」

 

 日本は、W杯に第1回から連続出場していたものの、強豪国に歯が立たない時代が続いた。それが、前回大会から劇的に変わったわけだが、「その根底にはプロ化がある」と前出の2人は語る。

 

「以前は、選手もスタッフもアマ。それが今では、ほとんどがプロ。栄養士もつきますが、僕らの時代は、栄養面は自分で勉強していた。環境面が激変したことが、強くなった要因でしょう」(吉田さん)

 

「いまは1年の半分は代表合宿に行ける。もうひとつは、外国出身選手が増えて、海外のいい部分が融合した結果でしょう」(大八木さん)

 

 代表を取材しつづける、井田新輔カメラマンも同意する。

 

「2012年に、エディー・ジョーンズがヘッドコーチに就任。質、量ともに優れた練習をして、優秀なスタッフをスカウトして、戦う集団を作り上げた。前回大会で自信を得たこと、今回は自国開催ということで、チーム成熟のためにこれまでにないマンパワーと時間をかけて臨んでいるのが、いまの代表です」

 

 サッカーがそうであったように、強化にプロ化は欠かせない。「ジャイアントキリング」に驚く時代は、もう過去となったのだ。以下ではW杯の日本の戦績を振り返る。
※○は日本勝利、●は敗戦

 

【第1回大会(1987年)】
○日本 18-21 アメリカ
○日本 7-60 イングランド
○日本 23-42 オーストラリア

 

 招待国として参加した日本の初戦の相手は米国。強豪国ではない相手に、初勝利が期待された。しかし、ペナルティキックを5回も外すなど、勝てる試合を落としてしまった。

 

【第2回大会(1991年)】
●日本 9-47 スコットランド
●日本 16-32 アイルランド
○日本 52-8 ジンバブエ

 

 スコットランド、アイルランドに連敗していたため、この時点で決勝トーナメント進出は消滅。だが、気持ちを切らすことなく臨んだ一戦では、本大会最多の9トライでW杯初勝利を挙げた。

 

【第3回大会(1995年)】
●日本 10-57 ウェールズ
●日本 28-50 アイルランド
●日本 17-145 ニュージーランド

 

 日本は先発11人を入れ替えたニュージーランドに最多失点、最多得点差、トライ数など、W杯ワースト記録を6個も献上し、大惨敗を喫する。いまも語り継がれる「ブルームフォンテーンの悪夢」だ。

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