スポーツスポーツ

元オリックス・小林宏「オマリーへの14球」新聞一面に載って驚愕

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.10.29 16:00 最終更新日:2019.10.29 16:00

元オリックス・小林宏「オマリーへの14球」新聞一面に載って驚愕

 

「野村ID vs. 仰木マジック」と言われた1995年の日本シリーズ。ヤクルトとオリックスの対戦で一番の盛り上がりを見せたのが、第4戦での「小林―オマリーの14球」だ。その当事者である小林宏(48・オリックス)さんが当時の熱狂を振り返る。

 

「オマリーとの対戦は全部、捕手の中嶋(聡)さんのサイン通りです。僕がサインに首を振らなかったというより、首を振っても中嶋さんが同じサインを出してくるんです(笑)。

 

 

 14球めで抑えて、ベンチに戻った後も特別何か言われるとかはなかったんですよ。『もう1イニング行くぞ』と言われたくらいで。僕自身もゼロに抑えられてよかったなあ、という具合でした」

 

 じつはこの勝負を放送していたテレビ中継では、瞬間最高視聴率55.9パーセントを記録していた。

 

「このシリーズ、前日の3戦めにも投げてるんですよ。そのときは打たれてすぐに降板したんです。テレビ中継だったら、『小林が登板です。ここでCMを……』となって、CM明けたら降板している、みたいなくらいあっという間でした。

 

 それが『14球~』の翌日に新聞を見たら自分が1面だった。宿舎の食事会場からこっそりと新聞を持って帰りましたよ(笑)。当時はパ・リーグが1面になることなんてめったにないんで。今でも家のどこかにあると思います」

 

 オマリーとのその後については、「何もないです。僕が英語しゃべれないですし」と話す。

 

 江夏豊(当時広島)が大ピンチを抑えた1979年の「江夏の21球」に並ぶ、日本シリーズの名勝負と言われているが……。

 

「僕はカープファンだったんで、その場面を見ていましたけど、全然並んでないです。だって、江夏さんが抑えたのは1イニング。僕はオマリー1人だけですから。でも、あの勝負で東京の野球ファンや、大企業の社長さんとかに名前を覚えてもらいましたね。あと契約更改では予想より少し年俸が高かった気がします(笑)」

 

こばやしひろし
1970年11月30日生まれ 広島県出身 ドラフト1位で1993年にオリックス入団。入団以降は先発、リリーフでフル回転。1999年、2000年と2年連続で開幕投手に。2005年楽天で引退。2016年にコーチでオリックス復帰

もっと見る

今、あなたにおすすめの記事

スポーツ一覧をもっと見る