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ジャパンカップ「外国馬ゼロ」で創設者が「やめちまえ!」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.11.24 06:00 最終更新日:2019.11.24 06:00
「がっかりですよ。『もうジャパンカップなんてやめちまえ!』ぐらいの気持ちです」
落胆と怒りを隠さないのは、元JRA副理事長・北原義孝氏(84)。レース創設に尽力し、競馬界で「ミスター・ジャパンカップ」と呼ばれる人物である。
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「世界に通用する馬づくり」をスローガンに、日本初の国際レースとして「ジャパンカップ(以下JC)」が創設されたのが1981年。39回めとなる2019年、初めて「外国馬の参戦ゼロ」という事態が起きてしまった。
「来るべき時が来た、ということ」と語るのは、スポーツ紙記者。
「外国馬が勝ったのは、2005年が最後。馬券圏内(3着以内)に来たのも、13年前が最後。ここ10年は、来日する馬のレベルもかなり低下し、JC離れの傾向が強まっていた」
その大きな原因は、“ガラパゴス馬場” にあるという。
「2018年のJCの走破時計2分20秒6は、当時の(芝2400mの)世界レコードを大幅に上回るもの。それが象徴するように、東京の芝コースは、世界に類を見ないほどの超高速馬場。
ソフトな馬場で、地力が要求されるヨーロッパの競馬とは、レースそのものの質が違う。これは武豊騎手などが、以前から指摘していたこと」(前出・スポーツ紙記者)
2018年のJCを制した日本馬アーモンドアイの記録は、それまでの世界レコード2分21秒98を大幅に更新。外国馬は、10着11着と惨敗。「これだけ時計が速いと……」(11着のムーア騎手)と、超高速馬場にお手上げ状態だった。
馬場以外の要素も、JC離れに拍車をかけたという。
「単純に言えば、『日本の馬が強くなったから』ですよ。1980年代は圧倒的に外国馬が強く、1990年代は好勝負。2000年代以降は、外国馬がほとんど勝負にならなくなった。勝てる見込みが低いのに、遠い日本で一流馬を走らせようという馬主はいません。
ましてや、引退後は種牡馬になるクラスの馬なら、わざわざその評価を下げるようなリスクを冒す必要はないでしょう」(専門紙トラックマン)
振り返ると1981年の第1回では、G1勝ちもない米国牝馬が、レコードタイムで優勝。「日本馬はあと何十年も、外国馬には勝てない」とまでいわれた。
熱戦が繰り広げられたのは、1989年の第9回。連闘で臨んだオグリキャップが、クビ差2着に涙を飲んだ。勝ち時計は2分22秒2のレコード。JC史上屈指の名レースだった。
名レースも多いJCの外国馬離れについて、北原氏が指摘するのは、「賞金」と「士気」だ。
「JCは、創設当時から世界最高クラスの賞金を用意し、海外にアピールしてきた。しかし、今のJCの1着賞金は3億円で、国内最高額ではあるが、これは国際的には、もはやそれほど高額ではない」
現在は、1着賞金が約8億円の「ドバイワールドカップ」など、JCを超える高額賞金レースはいくつもある。
「『有馬記念の賞金がいくら、日本ダービーがいくらだから、JCはこれくらい』などと、内輪の論理でやっている場合ではない。外国は、有力スポンサーを見つけるなど、大変な努力をしていますよ」(北原氏)
海外の大レースは、スポンサーが賞金を出すのが一般的だが、日本ではあくまでも、馬券売り上げの一部が賞金となるシステムだ。
「『そういうルールを変えてでもやってやろう』という人が、JRAの中にはいない。ヨーロッパの一流調教師や馬主と人脈を築き、懐ろに飛び込んで説得しようという情熱のある人がいないんです。どうすれば外国馬が来てくれるか、条件はなんなのか聞きに行けばいい。
チャンスはきっとあるはず。日本馬は海外レースに行くけど、外国馬が日本に来ないようでは、真の国際化とはいえませんよ」(北原氏)
カツラギエース、シンボリルドルフやオグリキャップ、トウカイテイオーなど、名馬と外国馬の戦いに胸を熱くした人も多いはず。だがいまや、JCの存在意義そのものが問われている。
次ページでは、1981年の第1回ジャパンカップの写真と、2000年以降の外国馬出走頭数・成績を紹介する。